...and we'll keep on fighting till the end.

5月(MAY)の幕開けはQUEEN+Adam Lambertの"You Are the Champions”とともに。さっそくダウンロードや試聴を済ませた方も多いのではないだろうか。

この曲がライヴのみならずスポーツの場でも大観衆に一体感をもたらすアンセムになることは、作者のフレディ・マーキュリー自身もある程度は想像/期待していたはずだけども、この曲の〈We are the champions, my friend. And we'll keep on fighting till the end〉という歌詞の意味合いは、年月を経るほどに重みを増しているような気がする。

最初にそれを感じたのは1992年4月20日、ウェンブリー・スタジアムでフレディの追悼ライヴを観た時のことだ。客席のあちこちに〈Goodbye Freddie〉とか〈Freddie will live forever〉といった言葉が躍るフラッグがはためいていたのだが、そのなかに〈And we'll keep on fighting till the end〉と描かれたものがあったのだ。もちろんそれがあの曲の歌詞だということはわかっていたが、その言葉から感じられたのは、フレディの無念さを心に刻みながら、それを引き継ぐようにして最後まで闘い抜いていく、という決意表明めいた強い意志だった。

そのフラッグを目にし、コンサートのクロージングでこの曲の大合唱に加わりながら、この追悼コンサート自体が何を意味/意図するものであるかを改めて噛み締めながら、"We Are the Champions”という長年慣れ親しんできた楽曲が新たな意味と生命を持ち始めたような気がしたものだ。ちなみに当時、この追悼公演のレポートはBURRN!誌1992年7月号に掲載されているのだが、その記事にも僕は迷わず〈And we'll keep on fighting till the end〉というタイトルを付けた。そして、このコンサートの模様はもちろん映像作品化されている。

この曲が持ち始めたそうした意味合いについて、ふたたび考えさせられる機会が2018年11月に訪れた。JUDAS PRIESTの来日公演で、この楽曲が終演時のBGMに用いられていたのだ。かつてフレディがエイズと闘っていたように、このバンドのギタリスト、グレン・ティプトンはパーキンソン病に冒され、闘病を続けながら活動している。〈最後まで闘い抜く〉という言葉は、僕にはそこに重なる意思表明であるように感じられてならなかった。そして実際、日本滞在中に取材に応じてくれたロブ・ハルフォードにこの選曲について尋ねると、次のような回答が返ってきた。

「あの曲を選んだ理由? 何故なら私たち全員がチャンピオンだからだよ。バンドもファンも、全員がね。そして〈We'll keep on fighting till the end〉という歌詞を、少しばかりグレンのことに重ねてもいる。しかも会場を後にする時に耳にするのにぴったりの、素晴らしく強力な曲だと思うんだ。それに私たちは全員がQUEENの大ファンでもある。QUEENはロック・ミュージックにおいて非常に重要なバンドだ。そしてあの曲は、夜の終わりにメタル・コミュニティの全員をひとつにまとめる、最高のステイトメントになり得るはずだと感じたんだ」

こちらの発言を含むロブのインタビューは、BURRN!誌2019年2月号に掲載されている。

そして2020年、この曲は特定のコミュニティではなく、もっと広い意味での世界の連帯を呼びかけるものになりつつあるのだと思う。この曲がこんなふうにして生き永らえていくことになるなんて、作り手自身は思ってもみなかったはずだが、音楽が永遠のものになっていくというのは、こういうことなのかもしれない。天上のパフォーマーも、今現在の世界に向けて何か1曲だけ歌うとすれば、この曲を選んでいたのではないだろうか。

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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。