Jesse McFaddinという人物のポジティヴさの正体。

11月19日、ひさしぶりに戸越銀座を訪れた。とはいえ買い物に出掛けたわけではない。戸越といえばRIZEに“1054HIT”(読み方はトゴシット)という曲があることからも明らかなようにJesseの地元。目的地は彼の営むJesse's Shop&Factory。そこで久しぶりに彼と再会し、インタビューすることになったのだった。

取材の主題は彼が本名のJesse McFaddin名義で制作したソロ作品『Crescent』ということになるのだが、同作についての話をする前に昨年夏以降の経過について触れずにおくわけにはいかなかったし、それを聞かぬままでは作品の背景にあるもの、そこに込められたものまで理解することは不可能であるようにも思えた。2019年の夏に何があったかについては改めて説明したくもないが、それを「なかったことにする」わけにはいかない。しかも取材者に僕を指名してくるということは、彼が洗いざらいすべてを語るつもりなのだろうと思えた。彼と初めて話をしたのは、多くの人にRIZEとの初遭遇の機会をもたらしたはずの“why I'm Me”のシングルがリリースされる前のこと。当時のスケジュール帳を確認してみたところ、どうやら2000年9月26日のことだったようだ。

Jesseにはパブリック・イメージ通りの部分とその真逆に近い部分とがある。あまり多くは説明せずにおきたいのだが、彼がポジティヴなメッセージを吐き出そうとするのは「ポジティヴでありたい」からでもあるし、自分の中のネガティヴな部分を知っているからでもある。そして実際、結果的には彼のそうしたところが改めて浮き彫りになるようなインタビューになった。

この記事は、同日の彼との約1時間にわたる会話をまとめたものだ。やりとりの一部始終すべてが文字になっているわけではなく、書いてしまうことで逆に彼の心情をわかりにくくし兼ねない要素や、文字にしないことを前提に彼が明かしてくれたいくつかのことのみ削除した状態になっている。誤解を恐れずに言えば、僕自身、彼が犯したことがそこまで極悪非道なことだとは思っていない。が、「その程度のことでどれほど晒し者にされ、どれだけのものを失うことになるのか」が数々の前例からわかっている以上、その種のものに手を出すのはとても愚かなことだと考えている。だから、そこで当事者に聞きたいことがあるとすれば、なんでそんな馬鹿なことをしたかではなく、これまでの経過の中でどのような反省の過程を経てきたのか、ということだ。彼が反省しているのは会話の内容からも明らかだった。が、あの瞬間に戻れるとしてもその事実を消したいとは思わない、とも言っていた。詳しことは記事本編をお読みいただければと思うが、僕は、これこそが本当の意味でのポジティヴさ、すべてを受け入れるということなのではないかと感じた。

インタビュー中にふと思い出したのは、The BONEZが2016年に発表したアルバムに冠されていた『To a person that may save someone』というタイトルについてだ。誰かを救うことになるであろう人へ。そんなメッセージを発していながら、実は誰よりも“救い”を求めていたのはJesse自身だったのかもしれない、と感じさせられた。

この記事がBARKSでアップされた翌日、Jesseは「増田さんに聞かれるとノーガードで話してしまうw 自分の記事なのにうっかり涙してしまった」などとツイートしていた。実を言えば、インタビュー中にも彼の目がうっすらと潤んでいるようにみえる場面が何度かあった。馬鹿野郎、こっちまでつられて泣きそうになるじゃねえか、と思った。だけども実際に涙が零れ落ちることはなく、そうなる寸前に彼は笑みを浮かべ、自分のことを笑い飛ばそうとする。思わずこちらに抱き寄せ、背中を叩きながら「泣いてもいいんだぜ!」と言いたくなるような瞬間もあった。ちょっと驕った言いぐさだと思われるかもしれないが、このタイミングで彼に話を聞くという役回りが自分に巡ってきて良かった、と思った。なにしろ次に向き合う時には、この件をすっ飛ばして未来の話をすることができるのだから。









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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。