忘れずにおきたい、6年前の記憶。

ふと、「確か今頃のことだったよなあ」と思い出した。脳内出血が発覚して入院した時のことだ。手帳をひっくり返して確認してみたら、2012年4月9日に診察を受けて即日入院となり、それから3泊4日したようだ。その時のことは、その年の5月に発売された『MASSIVE Vol.6』の〈音楽と生活〉にも書いてあるのだが(長い編集後記のようなコラムです)、その原稿の一部をこの場にも残しておこうと思う。あの時のことは、いろいろな意味で忘れてはならないと思っているので。というわけで、以下、6年前の記事からの抜粋である。〈今〉のことではないのでくれぐれも誤解なきよう。

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去る4月7日のことだった。四半世紀ほど前には勤務先の最寄り駅と目黒駅間の定期券を購入すべきだと笑い話にされるほど足繁く通い詰めたライヴハウス、鹿鳴館に出掛けた。そのライヴからの帰り道に不思議な光景を見た。鹿鳴館の看板が縦にふたつ並んでいたのだ。よくよく目を凝らしてみると間違いなくひとつしかないのだが。 それからの帰路にも、同じような光景をたくさん見た。さきほどの看板と同様に信号機がふたつ重なっていたり、片方の視界に飛び込んでくる人たちが何故かみんな双子だったり。車道を挟んだ向こう側の歩道の風景は、手ブレの魔法でサイバーな感じに撮れたライヴ写真のようになっている。

正確に言うと、右側の視界がどうもおかしいのだ。左右とも、片目をつぶってみるとまったく普段通りにすべてがくっきりと見えるのに、普通に両眼を開いていると、正面よりも右側に見えるものがほぼすべてがダブっている。 そのときはまだ、FOREIGNERのヒット曲、“Double Vision”が頭のなかに流れだすくらいの余裕が僕にもあった。が、目黒駅に到着してホームに向かおうとするとき、僕はその場に立ちすくんだ。階段状であるはずのエスカレーターのステップが、すべてクロスして見えるのだ。なんだか怖くて階段を下りることにしたが、それすらも放射状に重なる近未来的建造物のように見える。手摺りを掴みながら恐る恐る段差を下りていく僕の姿は、おそらくその場を行き交う人たちの目には、ただの酔っ払いに見えていたに違いない。が、念のため断っておくと、この日は一滴もアルコールを摂取していなかった。

何が自分にこんな作用をもたらしているのか、まったく見当がつかなかった。 毎日のように取材やらライヴやらが続いていたから、単純に疲れが溜まっているのだろうと思っていた。要するに極度の疲れ目ってやつなのだろう、と。ただ、帰宅後、意識的にたっぷりと睡眠をとり、翌朝に目覚めてもまだ同じ状態が続いていたときにはさすがに不安をおぼえた。机上のミニ・オーディオの、右側のスピーカーだけ何故かふたつある。パソコンのマウスが双生児になっている。

すぐにでも医者に行くべきだろう。しかしあいにくの日曜日。慌ててインターネットで検索をかけ、休日でも診療している眼科医院を近所に見つけ、すぐに向かった。 頼んでもいないのに視力の計測をされたことには少しばかりイラつかされたが、その医者が言うには、双方の眼球にはまったく異常が見当たらないとのこと。念のため炎症を抑える点眼薬を出しておくが、それを使っても効果が見られない場合は脳に何らかの異常がある可能性が考えられるから、明日にでも総合病院に行ったほうがいいでしょう。天気予報のようにさらりと言われたが、“脳”という一言が頭のなかでぐるぐると回転し始めた。帰宅後、今度は自宅界隈の総合病院を検索。その日は取材もライヴも誰かと呑む予定もなかったから、おとなしく過ごしていた。テレビは普通に見られるのだ。が、いつもテーブルを囲むようにして僕の右側に座っている妻が二人いた。もちろん彼女は双子ではないし、我が家は一夫多妻制でもない。 

翌日、朝のうちに、自宅からバス1本で行くことができる、わりと大きな総合病院に出掛けた。ものすごく混雑していた。具合の悪い人がこんなにたくさんいるのか、と思った。具合の悪い人たちのなかに混ざっていると、自分まで具合が悪くなってくる気もした。が、ほぼ確実に僕自身もどこか具合が悪いのだ。 あちこちのフロアをたらいまわしにされた。いや、ポジティヴな言い方をすれば、あちこちを丁寧に検査してもらい、初めて“普通のレントゲン以上の撮影”を経験した。どうやら写真上では自分の頭部が輪切りになったらしい。  

「今日から入院しましょう」 

ちょっと金子ノブアキ似の若い医者は涼しげにそう言った。診断結果によれば、軽度の脳内出血。なんだ軽度なのか。そこで一瞬だけ「なのに即入院かよ?」と思ったが、程度こそ軽いとはいえ、自分の脳内が出血状態にあるのだという事実には驚かされた。視界の異常も当然ながらそれが理由であるらしい。 

「早く見つかって良かった」 

担当医は“感じのいいタメ口”で言う。こんなところも、あっくんに少し似ている。それはともかく、実はその日の夕方、僕には取材の予定が入っていた。しかもインタビュー場所は、その病院から徒歩5分ほどで行けるはずのレコーディング・スタジオ。だから荷物のなかにはICレコーダーもちゃんと入っている。僕はあっくん、ではなく担当医に自分の職業について説明し、できれば取材に向かいたい旨を伝えた。が、やんわりと反対された。 「べつにそれ自体がすぐさま悪影響には繋がらないはずだけど、できればすぐに入院してもらいたいな」と。

 結果、僕は1時間だけ猶予をもらうことにした。その当日から数日間の取材をすべてキャンセルし、いくつかの締め切りを延ばしてもらう手配をするためだ。慌てずに急ぐようにしながら自宅に戻り、メールと電話であちこちに連絡を取りながら、入院のための荷物をあれこれと準備する。パソコンの持ち込みは“歓迎できないけどOK”ということらしいのだが、こんなものがそばにあったら「入院なう」とかつぶやいてしまうだろうし、あちこちから矢のような原稿催促のメールが来ることになるだろう。だから結局、着替えとか歯磨きとか文庫本とかiPodとか、そういったものを鞄に詰め込んだ。ちなみに着替えの大半は手近なところにあったバンドTシャツ。できるだけ骸骨系デザインとか縁起でもないようなバンド名のやつだけは避けるよう心掛けた。 

約束通り、ちょうど1時間後に病院に戻った。すぐさま病室に案内された。病室の番号が自宅マンションと同じだったのでちょっと笑ったが、自分の名前のあとに“脳外”と書かれてあるのを見て、びくっとした。そう、僕は普通に脳外科の入院患者なのだ。しかし“脳外”というのは悪くないかもしれない。なんだか脳が外れているように見えなくもないけども、ちょっと字を変えれば“悩み”がない人みたいだ。 

興味深かったのは、入院のため取材をキャンセルしたいと電話で告げたときの仕事相手たちの反応だ。本気で言葉を失っている人もいた。ちょっと呆れ気味に「痛風かなんかですか?」と言った人もいた。ものすごく心配そうな喋り方をしながら、結果的には自分の入院経験を延々と聞かせてくれた親切すぎる人もいた。こういうことを文字にしてしまうのは、きっと僕が嫌なやつだからだろう。  それから先の入院生活については、正直、あまり書くべきことがない。しかし、何もすることがない状態にあると、三度の食費というのが貴重なエンターテインメントになり得ること、そして最近の病院食が意外と美味しいことを知った。カード式で有料テレビも見られるようになっていたが、特に見たいものもなかったし、どちらにせよ9時には消灯を迎えてしまう。で、不思議なもので暗くなった途端に眠ってしまう自分がいた。とはいえ日付が変わる前に目覚めてしまい、それからずっと隣のベッドの患者のいびきに悩まされ続けることになったのだが。 

結果、僕の入院生活は3泊4日で終了した。べつに手術を受けたわけではないし、ずっと点滴を打たれながら大人しくしていただけのことだ。その期間中、なんだかヘヴィすぎるものを聴きたい気分にはなれなかったので、基本的にはエルトン・ジョンとかWINGSとかCARPENTERSとかMOTT THE HOOPLEとか、中学生の頃から親しんできたものばかり聴いていたのだが、点滴が規則正しくぽたぽた落ちるのを見ていたら、何故かすごくNINE INCH NAILSが聴きたくなって、実際そこで『DOWNWARD SPIRAL』を聴いてみたらぴったりだった。健康状態の回復にひと役買ってくれる音楽だとはとても思えないが。 

退院するとき、担当医にいろいろと訊いてみた。僕の仕事は人の話を聞いたり、延々と文章を書いたり、爆音のなかで何時間も過ごしたり、ライヴのあとで酒を呑んだりすることなんだけども、そのなかに何か、今後控えるべきことはあるのか、と。答えは「いや、べつに」だった。ついでに訊いてみたらプールで泳ぐのも構わないし、ライヴで適度に動くのも問題ないし、食べちゃいけないものもないという。ただ、ちょっとだけ怖いことをひとつだけ言われた。 

「脳内の、いわゆる人格を形成している部分に何らかの影響が及んでしまった場合、人間性に変化が生じる場合がある」 

なんだかドラマか小説か、もしくはドラマ化されることを狙いながら書かれた小説みたいな話だなと思った。 

「だから言動が急に変わったとか、そういうことがあった場合にはすぐに知らせて欲しいし、奥さんとか身近な人たちには、そういうことが感じられた際に指摘してもらうように言っておいたほうがいいと思います」 

退院から約1ヵ月が経過した。幸いなことに、妻から「最近、言動がおかしい」と言われたことはないし、身近な人たちから「入院してから雰囲気が変わった」と言われたこともない。言動に影響が及ぶということは、もしかしたら文体とかにもそうした変化が現れる場合もあるのかもしれないから、この号を読んでみて「なんだか増田の文章が変わった」と感じた読者がいらしたなら、是非ご指摘いただきたい。 

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そして入院から6年を経た現在も、幸いなことに、人格が変わったとか文体が以前とは違うといった指摘を受けてはいない。ちょっと変わってたりしたら面白いのに、などと不謹慎なことを思ったこともなくはなかったが、とりあえず自分が自分のままであり続けられていること、あの頃と同じように仕事を続けていて、酒も飲んでいて、当時はまだ6号目だった『MASSIVE』が次の号で30号目を迎えるという普通の現実を素直に喜びたいものだ。なんとか今と同じような生活を、少しでも長く続けていけますように。

当時はスマホではなくガラケー。もちろんカメラ機能はあるにせよ、点滴ぐらいしか撮るものがなかった。

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50代半ばというよりはアラ還に近付きつつあるライター増田勇一の、音楽的だったりそうでもなかったりする日々。

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