26年前の4月20日の、忘れがたき光景。

うっかりしていた。4月20日に書いておくべき記事があったことをすっかり忘れてしまっていた。この日は打ち合わせが1本とインタビューが2本あって、とても慌ただしかった。そんなのは言い訳にもならないが。

4月20日といえば、ロンドンのウェンブリー・スタジアムでフレディ・マーキュリーの追悼コンサートが開催された日である。1992年のことだ。この公演の正式なタイトルは『THE FREDDIE MERCURY TRIBUTE~CONCERT FOR AIDS AWARENESS』という。フレディの生涯を讃え、同時に、彼の生命を奪ったエイズという病気についての認知を広げることを目的とするものだった。

その歴史的な場に、幸運にも僕は居合わせることができた。いや、実は幸運だったのではなく旅行代金を払ったから観られたのだが。当時の僕はBURRN!誌の副編集長。この公演をどうしても観たかったが、QUEENを積極的に扱ってきたわけでもなかった同誌では、このコンサートの記事は〈どうしても載せなければならないもの〉とは判断されなかったのだ。そこで僕は休暇をとり、自費で渡英した。結果、ロンドン滞在中にはこの公演を観るばかりではなく、そこに出演していたMETALLICAの取材、たまたまツアーに来ていたSEPULTURAの取材まで行ない、かなりの仕事量になったのだが。

そんなことはともかく、この日のライヴは本当に素晴らしいとしか言いようのないものだった。ときどき「これまで観てきたライヴでベストだったのは?」という質問をされることがあるが、僕はたいがい、このコンサートの名を挙げることにしている。それはちょっとした逃げでもあるのだが。

とにかくこのコンサートは、中学時代からリアルタイムでQUEENを聴き続け、GUNS N' ROSESやMETALLICA、DEF LEPPARDやEXTREMEといった出演アーティストたちの取材をよく担当していた自分にとっては、どうしても観なければならないものだった。しかもエルトン・ジョンやロバート・プラント、デヴィッド・ボウイからジョージ・マイケルまでが勢揃い。最初から最後まですべての瞬間が素晴らしかったが、なかでも特に感銘を受けたのはジョージ・マイケルが歌う“Somebody to Love”と、イアン・ハンターとミック・ロンソン、デヴィッド・ボウイが顔を揃えて披露した“All the Young Dudes”だった。同楽曲の演奏中、ステージ後方でジョー・エリオットとフィル・コリンがコーラスを担当している図も微笑ましかった。勝手に涙が溢れてきて、どうにもそれが止まらなかったのを憶えている。

実はこの公演を観るにあたり、まずは当時のレコード会社担当ディレクターに相談したのだが「うちではチケットが取れない。観覧ツアーに参加してもらう以外に確実な手段はない」とのことで、僕はその団体旅行に申し込んで渡航したのだった。その団体のなかには同業者も何名か含まれていたし、不思議な縁なのだが、JUDAS BRIEF党でKKダウニング役を務めているギタリストのNORIさんも参加者のひとりだった。その人と36年後に同じステージに立つことになるのだから、人生、本当に何が起こるかわからないものである。

左は公演パンフレット。我が家の家宝のひとつ。そして右は同公演の記事が掲載されたBURRN!誌1992年7月号。表紙はギーザー・バトラーとロニー・ジェイムズ・ディオだった。記事のタイトル『And We'll Keep on Fighting Till The End』が、“We Are the Champions”の歌詞からの引用であることは言うまでもない。会場で同楽曲の合唱の輪のなかにいて、この言葉こそがまさにこのライヴの意味を伝えているのだ、と感じさせられたものだ。

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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。