長年の付き合いになるミュージシャンが、逝ってしまった。
ここで彼を「友人」と呼んでいいのかどうかがわからない。おそらく彼は、僕がそう呼ぶことを歓迎してくれるだろう。が、堂々とそう名乗れるほど、僕は彼自身や彼の考えを知らないままでいた。
昔から憧れてきた人たちや、取材で接してきた海外のミュージシャンが亡くなってしまった時とは、少しばかり感覚が違う。公式な取材などの機会に、インタビューという特殊な会話だけを交わしてきた相手とは異なり、ライヴの後に一緒に酒を呑んだり、「俺たちみたいなバンドはこれからどうしていったらいいんだろうね?」みたいな相談に乗ったり、同世代だからこそ理解できる音楽的ルーツの話、人生の話をすることなどもあった誰かの死は、なんだか重さの種類がだいぶ違う。
58歳になって5ヵ月ほどになるが、現在の僕は、当然のように、死というものを以前よりも強く意識しているつもりでいる。それは、現在79歳の母が療養中であることと無関係ではないし、自分自身も以前ほどは無理がきかなくなりつつあることを自覚しているからでもある。しかも毎年のように、先に逝ってしまうやつがいる。彼は、僕のふたつ下だった。近いうちに、それが取材という名目になるか否かはともかく、じっくりと話を聞きたいと思っていた。しかし僕は、彼が病に冒されていたことすら知らずにいた。それを知っていたら「近いうちに」が「今すぐに」になったかどうかすら、ちょっと怪しい。それを理由に話を聞こうとすることを避けたい、と考えたかもしれない。
僕よりもひと回り以上若い、ある他のミュージシャンが言っていた。いつかやりたいと思っていることは、今すぐやらないとできないことが多い、と。天国行きの旅について先を越されてしまったそのミュージシャンに本音を聞くことも、僕にとっては、いつかやりたいことのひとつだった。だけども先を急ぐ必要があるとは思ってもみなかった。とはいえ、僕が悲しいのは、彼から言葉を引き出せなかったことではなく、彼自身が逝ってしまったことなのだ。
僕は、彼との別れの場にも立ち会うことができなかった。これまでにも似たような経験は何度かしてきたはずなのに。駆けつけようと思えば完全に不可能ではなかったはずなのに。だけども大切なのは、すべてを振り切ってそこに向かうことではなく、彼の死を想いながら、今後の人生において「会いたい人、話を聞きたい相手には、すぐにでも会いに行く」ということを実践することなのだと思いたい。
増田勇一のmassive music life
いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。
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