2020.03.28 DIR EN GREY@KT Zepp Yokohama

3月28日に実施されたDIR EN GREYの無観客ライヴと、それに伴う全世界に向けての生配信について書いた記事が、本日正午にいくつかの音楽系情報サイトで公開された。こうした記事はいわゆる〈オフィシャル原稿〉としてマネージメントを通じて各媒体に向けて情報解禁時刻の条件付きで配給されるものであり、実際にアップされた記事に掲げられたタイトルや写真の配置、細かな表記上のルールなどについての判断は媒体側に委ねられることになるが、本文に関しては共通のもの。そのいくつかをご紹介しておこう。

▼BARKS

▼SPICE

▼Billboard JAPAN

▼びじゅなび

▼Musicman

さて、ここから先は、記事には書ききれなかったことを。

この記事を書きあげたのは、昨日、3月29日の夕刻のこと。僕自身は、ライヴに先駆けて生配信されたドキュメンタリー・パートの進行役を務めさせていただいた関係もあり、同夜の彼らのライヴ・パフォーマンスをKT Zepp Yokohamaのフロアから目撃する機会に恵まれた。

その場で感じたことについては記事内にも書いたが、とにかく圧倒的だった。もちろんライヴというのは生身の観客あってのものであり、その場が熱意に満ちたファンで埋め尽くされている図こそが理想であることは間違いない。ステージに立つ者たちも、目の前にそうした絶景が拡がっているからこそ触発される部分というのが確実にあるはずなのだ。

この日、実際にフロアにいたのは13台のカメラを操る撮影クルーと、ごく限られた数のスタッフのみであり、いわゆるメディア関係者も僕ひとりだけだった。ただ、そこで体感することになったのは、ミュージック・ビデオの撮影現場のようなムードではなく、DIR EN GREYのライヴ以外の何物でもない空気感だった。自分の前後左右、半径1メートル範囲内には誰も立っていないのに、曲が終わるたびに大歓声が聴こえるような気がした。ステージ上の5人にも、超満員のオーディエンスが熱狂している図が見えていたのではないだろうか。

この日のドキュメンタリー・パートについては、ざっくりとした進行表は組まれていたものの、台本めいたものはまったく用意されていなかった。僕自身があらかじめ用意していたのも番組冒頭の挨拶部分での発言内容だけで、それ以外はすべて流れのなかで出てきた言葉ばかりだった。

そのプログラム後半、自分で口にしておきながら〈ああ、そういうことなんだな〉と気付かされる場面があった。実際の発言とは違うはずだが、ライヴのスタートが近付いてきた頃〈みんなが居るのは世界中のそれぞれ異なった場所。だけどもこれから観るものは同じなのだから、みんな一緒にいるのと同じ〉という意味合いの言葉が自然に口から出てきたのだ。おそらくそれは、それまでの数時間のうちにメンバーたちの発言を通じて彼ら自身の気持を知り、世界各国からさまざまな言語のメッセージがリアルタイムで寄せられるなかで、そうした感覚、不思議な一体感のようなものを味わっていたからなのだと思う。実際、その発言をする前には、少しばかり英語でメッセージを発信させてもらったが、その数秒後、画面に英語での書き込みがすごい勢いで流れ込んできたのを目にした時には、目頭が熱くなるのを感じずにいられなかった。

英語ばかりではない。スペイン語、中国語、ポルトガル語、ドイツ語、韓国語、などなど。僕には読むことのできない言語でのメッセージもたくさん寄せられた。あの瞬間、住む国も違えば言葉も違い、さらに言うならコロナウィルスの脅威をめぐる状況の深刻さの度合いや、それに伴う政府の対応のあり方も異った場所にいる人たちが、それぞれにとっての安全な場所で、自分だけの最前列で待機していたのだ。そうした現実を感じ取ることができたからこそ、思わずそういった言葉が出てきたのだと思う。

もちろん、何よりも素晴らしかったのはDIR EN GREYのライヴそのものだ。〈通常のライヴさながらの〉とか〈手抜きの一切ない〉といったお決まりの形容は、この夜の彼らに対しては相応しくないというか、失礼というものだろう。むしろこの夜のステージは僕にとって、これまで20年以上にわたりさまざまな異なった環境で目撃してきた彼らのライヴのなかでも、特に印象深く忘れ難いものとなった。それは、実際に会場内には居合わせなかった、巨大スタジアムにすら収容しきれないほどの数の視聴者がその模様を注視している、という独特の緊張感を、僕自身も体感していたからかもしれない。

無観客という特殊な状況で行なわれるライヴを、ライヴとして認めたくないという向きもおそらくあるだろう。しかしそれは、敢えて言うならライヴを超えたライヴだったようにも思う。終演後、僕は彼らに「本当にいいものを観させてもらった」とお礼の言葉を投げ掛けて会場を後にした。実際、それが正直な気持ちだった。もちろん無観客ライヴの生配信というのは、本来はやらずに済めば良かったことではある。日本が、いや、世界がこうした異常事態に陥っていなければ、彼らがこうした試みに踏み切ることはなかっただろう。しかし結果、その果敢なトライによって、彼ら自身がこれまでに感じたことのない何かを味わうことになったはずだし、彼らを支持する人たちは自らが何故このバンドに共鳴しているのかを再確認することになったのではないだろうか。

2020年3月28日。忘れられない一日が、またひとつ増えた。この日をあの場所で過ごさせてもらったことに、僕は心から感謝している。そして同時に、一日も早く、演者と観衆の双方が心おきなくライヴを楽しむことのできる状況が整うことを願っている。

pic:Takao Ogata

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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。