闘う魂、貫く心。THE冠の新作が登場!

不要・不急な外出は自粛を。そんな呼びかけが始まってからというもの、ライヴを観る機会が完全に失われているばかりではなく、取材件数も極端に減っている。作品リリースにも延期が目立っているが、もちろん大型CDショップが軒並み休業という状況にあろうと予定通り発売されるものもある。そして、できることならそうした新作リリースに際してのインタビュー記事はタイムリーに届けたい。そんななか、対面取材はなかなか実施しにくいところではあるけども、電話でなら話を聞くことができる。考えてみれば、海外アーティストにはこれまでもごく普通に電話での取材を実施してきたわけで、まったく当たり前のやり方ではあるわけで、しばらくは〈同じ国内でも電話でインタビュー〉というケースが多くなってくるのかもしれない。

4月22日の夜、冠 徹弥と電話で話をした。THE 冠のニュー・アルバム『日本のヘビーメタル』が予定通り4月29日(本日です!)に発売を迎えるからだ。そして、その際の会話をもとにした記事が昨夜、音楽情報サイトのBARKSにアップされたので是非お読みいただきたい。

この『日本のヘビーメタル』、当然のごとく、重くて面白くて想いの詰まった痛快なアルバムに仕上がっている。この作品の、もっと深いところまで掘り下げたインタビューについては、実は後日、改めて実施することになっているのだが、まずはこの速報記事をアルバムとともに楽しんでもらえれば、と思う。

そして、まだ冠 徹弥という人物についてよく知らない、という人たちのために、この場に過去の記事を1本、復刻掲載しておく。このインタビューは2014年の1月に僕が来なったもので、『MASSIVE Vol.13』に掲載されている。以下の写真も同日のライヴの際に僕が撮影したものだ。彼自身のルーツや、面白さにこだわる理由、そして、何故ヘヴィ・メタルではなくヘビーメタルなのか、についても語られている。

【冠 徹弥 インタビュー 2014.01.10 下北沢にて】

 視覚か、聴覚か。どちらを通じて出会うかで冠 徹弥という人物の印象は大いに違ってくるかもしれない。完全武装した姿での写真1枚のインパクトと、一瞬にして闇を裂く閃光のごときシャウトの説得力。同じ人間が併せ持つものとは思えない笑いのセンスと、音楽的な真摯さ。ある意味それは二面性ともいえるだろうが、彼の場合、どちらかが表でもう一方が裏なのではなく、各々の要素が半分ずつ共存しているのでもなく、すべてがダブルなのだ。

今回は、肉もチーズも2枚ずつ挟まれた巨大バーガーのような過剰さを持つこの男にとっての“軸”がどこにあるのかを探ってみたい。取材は1月10日、彼自身の主宰によるイベント『重ロック殺シアム』(於:下北沢GARDEN)の開催当日、そのリハーサル終了直後に行なわれた。蛇足を承知で言っておくと、このイベント名は“オモロック・コロシアム”と読む。

◆今回は、改めて冠さんという人物の生きざまを探ってみたいと思うんです。

「つまり……僕の薄っぺらい人生が浮き彫りにされてしまうわけですね」

◆そ、そんな……。今夜、数時間後には『重ロック殺シアム』が控えているわけですが、これは定例化されているイベントなんですよね?

「不定期で年に1~2回開催してるんですけど、始めてからもうかれこれ5~6年になりますね」

◆“重ロック”という言葉が実に冠さんらしい。ダブル・ミーニングどころじゃないですし。

「オモロいロック、という捉え方もあるんですけど、重いロックでぶち殺すという意味でもあるし。そこでさらに、“想い”を持ったバンド、魂を持ったバンドを集めるようにしてるんです」

◆重くて想いを持ったバンドはたくさんいますけど、“オモロい”というのはなかなか手を出しにくい領域でもあると思うんですよ。

「やりたがらないでしょうね、大概は。僕の出発点というのは中学のときに始めた80年代ハード・ロックのコピー・バンドなんですね。それこそVAN HALENとか、いわゆるL.A.メタルとかを聴いていて。高校時代は、カッコいいバンドをやることにすごく憧れがあって、最初にオリジナルをやるときも、英語詞でいこうと思ってたくらいなんですよ。はははっ!」

◆そこ、べつに自分で笑うとこじゃないと思うんですが。

「いや、でもね、合わなかったんです。当時、一緒にやってたやつがちょっと英語ができたんで、僕の日本語詞をそれっぽい英語に直してもらってたんですけど、なんか途中で嘘っぽく感じるようになってきて。で、自分の思ってることをちゃんと表現しようと思ったらやっぱり日本語だろうということになり、日本語でカッコいいことを歌うようになって……そうして書いていくうちに今の自分のスタイルになってきたんです。当時はSo What?というバンドをやってたんですけど、おもしろさのなかにメッセージがある感じというか。単なるギャグを歌いたくはなかったんで、ただオモロいだけじゃないぞ、というのを感じさせるものは作ってたつもりなんです。だけど、どうしてもパフォーマンスとかMC、服装なんかが目立つようになってきて。歌詞についても、たとえば下ネタ的なフレーズがあると、その前後の文脈とは関係なくそういう歌だと思われてしまったり。それで“おもしろバンド”という解釈をされてきたんです。それはそれで楽しんでいただけるならいいと思ってたし、実際にライヴに来てもらえればただのおもしろバンドじゃないことをわかってもらえるだろうというつもりでやってましたね。そう考えると……結局はその頃から20年以上、基本的には変わってなくて」

◆そういったやり方を意地になって貫いてきたというよりは、それがいちばん自然なあり方だったということなんでしょうか?

「自然でしたね。So What?の解散後、このTHE冠をやり始めた頃に、もうひとつ別のユニットみたいなのをやってたことがあって、そっちは完全に英語で、まったく違う感じのことをしてたんですね。ふたつを両極端に振り分けようかなと思ったわけです。だけど結局、英語で歌うことにはまた無理が出てきて」

◆英語で歌うことが苦手なわけではないのに。どこかカッコつけてる感というか、自分の言葉じゃないという感覚が伴うわけですか?

「そうなんですよね。どっかにそれがあった。で、改めてそこに気付かされた時点で、THE 冠ではきっぱりとこの形でいこうと決めて」

◆オモロさのなかにメッセージがある。しかも実体験的なリアリティがあったり、世代観が出ていたり。最新作の『帰ってきたヘビーメタル』に収録の“糞野郎”では、学校で“おもらし”をした少年が登場しますけど、べつにそれ自体が主題になっているわけではなくて。

「ええ。実体験から来てるのが結構多いですけど、僕の場合、日常に巻き起こる怒りであったり矛盾であったり……もちろん喜びや楽しさも含まれるんですけど、基本的にはそういったものを僕の言葉で書くとこうなるぞ、という感じなんですよね。たとえばその“糞野郎”なんかも、小学校のときにもらしたという話から始まってはいるけども、実は完全に反原発の歌なんです。糞をもらすよりも馬鹿らしいことになってる今の日本の現状。べつにそこまで読み取っていただかなくてもいいんです。でも、本音を言えばやっぱり読んで欲しいですよ。ライヴに来たなら音とパフォーマンスを楽しんでいただければいい。でも家で聴くときは、一度歌詞を広げてみて欲しいし、そこで“なるほどな”と気付いてもらえれば……」

◆おもしろさを隠れ蓑にしていると言ったら皮肉っぽい言い方になるかもしれませんけど、まず笑わせて、みんなが笑っている間に実は大事なことを言っていたりする。

「そこはもう性格がひん曲がってるのか何なのか。ちょっと照れ隠しもあるのかもしれないですね。まっすぐ女の子に告白できひんみたいなことだと思うんです(笑)。なかなか告白できないたちなんですよ」

◆たとえば反原発を訴えようとしたとき、それをダイレクトに歌う人たちもいますよね。それもまた性に合わないということですか?

「そうなんですよ。多分そのまままっすぐやってしまうと、 THE冠というものではなくなってしまうというか。本気でまっすぐ伝えようと思ったら、また別個のチャンネルを持ってしっかりやらんと。もしもそうなったらTHE冠というやり方はとらないと思うんです。伝えることだけを重んじようとするならば」

◆伝えることだけが目的ではないし、ライヴが楽しい場、ストレス解消の場であって欲しいという部分もあるはずですよね?

「ええ。僕があんな格好してるのも、やっぱり非日常を求めたいからなんです。客の1人としての自分が求めるのもそれですし。KISSとかもそうですけど、普段、街とかでは見ることのないよう人たちがステージに上がって、曲をしっかり聴かせながらすごいパフォーマンスをやるわけじゃないですか。もちろん普段着みたいな服装でやるバンドにもカッコいいのはいますけど、僕が観たいのはそういうものなんで。だから自分でもそうありたいというか、非日常の世界を見せて、その時間だけはすべてから解放されて欲しい。そう思ってやってるんです」

◆非日常的な時間を提供するバンドでありつつ、音楽としては真っ当でありたいというのがあるわけですよね。ただ、失礼な言い方かもしれないですけど、そこでの評価というのがなかなか獲得しにくい活動スタイルだと思うんですよ。

「そうなんです。だいたいね、舐められがちです。ただ、こんな格好でやるというのは自分で選んだことですけど、ライヴに来てもらえればわかってもらえるはずなんで。対バンでもすれば特に。だから今頑張ってる若いバンドたち、一緒にやったことのあるミュージシャンたちには舐められてないはずなんです。でもやっぱりテレビとかのイメージで、メタル芸人みたいな先入観を持ってる人たちというのもいるんで、そこを徐々に切り崩していきたいんですよね。ライヴを一発見せれば済む話ではあるんで、なんとか会場まで辿り着かせたい。それもあって今回のアルバムはより音楽的なものにしたかったわけなんです。テクニカルな部分とかでも」

◆たとえばアメリカにもSTEEL PANTHERというおもしろいバンドがいますよね。あれは80年代メタルの典型を絵に描いたような曲をうまく作っていて、実力があるくせにパロディ要素を加味しているから楽しいわけで。

「ええ。やっぱり音楽をしっかりと軸にしておかないと、オモロいことすらも伝わらないということになってしまう。“めちゃめちゃカッコいいけどオモロいな”じゃないと、やっぱりお客さんのなかには残らない。“面白いだけやったね”という感想を持たれたら、その次に繋がらないですから。だから、曲も演奏もめっちゃカッコいいけど同時に面白い、というのをやりたんです。そういうバンド、そんなに日本にもいないんで。そこに行きたいんですよね」

◆まさに重ロックの究極形ですよね、それは。そこでひとつ確認しておきたいのは、“ヘヴィ・メタル”との距離感についてなんです。冠さんは“ヘビーメタル”という表記を使っていて、以前、ツイッターでも「俺たちはヘヴィ・メタルじゃなくていい。ヘビメタ、ヘビーメタルだ」というようなことをつぶやいてましたよね?

「ああ、書きましたね(笑)」

◆あの言葉、結構ガツンときたんですよ。自信がある者にしか吐けないものだと思ったし、正統派であることにしか価値を求めない人たちへの警告のようにも思えたんです。

「ある種、閉鎖的な世界じゃないですか。その閉鎖感もいいんですけど、僕としてはそれをこじ開けたいんです。ヘビメタっていう表記、とことん嫌がられてるじゃないですか、メタルの人たちに。“ビ”じゃなくて“ヴィ”だろう、と。でもそれ、どっちでもええやんと思うんですよ。僕はそういう次元にはいないというか。僕自身としてはどっちの表記でもいい。ただ、ヘビメタという言葉は、実はしっかり認識されてるところがあって、よく音楽を知らない人にも“ああ、ヘビメタやってるんだ?”とか言われるわけですよ。その認知度を逆に利用して、ヘビメタが馬鹿にできない音楽だってことを伝えられさえすれば、“ビ”でも“ヴィ”でもええやんか、と。これもツイッターに書きましたけど、カメラマンやってる人のなかに、“いや、キャメラマンなんだよ”と怒る人はいないと思うんです。本当にちゃんとやってる人たちは、そんなこと気にしない。その感覚なんです。少なくとも自分から“ヴィ”じゃないと嫌だというような人間ではありたくないというか。ただ、僕もわかってるんですよ。“ヘビメタ”という言葉がこれまで差別的に使われてきたところがあるのは」

◆蔑称とまでは言わないまでも、指をさして笑うための使い方をされてきたような部分はありますよね。「見て見て、ヘビメタがいるよ!」みたいな。

「ええ。僕はもちろん舐められたくないわけですけど、仮にヘビメタだろうと、真剣にやってる音楽が本当にすごいものだったなら、馬鹿にはできひんやろうと思ってるんです。最近で言えばメロコアとかもそれにもう近いじゃないですか。“俺、メロコアやってんねん”とはあまり言わないと思うんですよ」

◆確かに。いつか、エモとかもそうなるのかも。

「同じことですよね。だから僕は、今やもう誰も言わなくなった“ヘビメタやってる”というのを、自分ぐらいは言っていこうかな、と」

◆さまざまな音楽があるなかで、ことにメタルに惹かれる理由というのはどこにあるんです?

「僕もいろいろ考えたんですよ。なんでこの音楽好きになったのかなって。で、どんどん辿ってみると、それまでポップスを聴いてた中学生当時の自分にとってメタルの何がすごかったかといえば……無駄の美しさというかね(笑)。なんでも必要以上にやる美しさってものに惹かれたんじゃないかと思うんです。最初にイントロが長々とあって、どアタマにシャウトがきて」

◆今、頭のなかで条件反射的にJUDAS PRIESTが聴こえてきました(笑)。

「ははは! とにかく無駄が多いじゃないですか。普通のポップスなんて3分間にまとまってたり、我々の世代やと、“一番のサビまでが1分半までに収まらないとラジオではかかりません”みたいなことを言われたり。だけど1分半なんてまだイントロですよ、メタルの場合(笑)。その潔さ、必要以上の音数、必要以上のシャウト。やっぱり美しいですよ」

◆体質的に受け入れられない人にとっては、本当に嫌がらせのような音楽ですよね。

「確かに(笑)。でも僕はそういうところが美しいなと思うんです。今、こうして生きてても、日頃から“無駄なく、無駄なく”とは思うけども、無駄なことをやって失敗したり、遠まわりしたりしながら行き着くのが人生だと僕は思うんですよね。メタルというのもある意味、音楽としてそれを体現してる気がして。べつに3分に収まらなくていい。すぐ歌が始まってサビに行かなくてもいい。最終的にちゃんと曲が終わってみると、無駄にあれこれやりながらもヘトヘトになりながら着地点に到達する、みたいな。その感じが好きなんでしょうね」

◆それ、まさに汗だくになってシャウトして、くたくたになりつつも笑顔でステージから去っていく冠さんの姿そのものじゃないですか!

「僕の役目はそれでいいかなと思っていて。無駄な音数と、無駄なハイトーンと、無駄にしんどいパフォーマンス。確かにしんどいんですよ。普通に歌うのより大変なんです。だけど、こんなおっさんがそういうことをやり抜いてるさまを見たら、何か感じてくれる人がいるはずやと思うんですよ。僕らがKISSとかそういう人たちを見て“すげえ!”と思ってきたのと同じように。僕、ある曲で、“ヘビーメタルとは闘う魂、貫く心だ”って言ってるんです。実際、そういうことだと思うんですよ。闘ってるな、貫いてるな、という姿勢を見せること。それをやるには、僕にはメタルしかないんで」

◆今、なんかすごく納得させられました。

「もちろん単純に、すごくカッコいいと思ってるから、ということでもあるんですよ。歪んだギターを聴いただけで心が躍るというか。それはもう、中学のときから変わらないですからね」

◆思春期に抱いた憧れを貫けているわけですよね。それも美しいことだと思うんです。

「一時期、メタルなんかもう終わったとされていた時期に、“俺の感覚ってもう終わってるのかな?”とか思ったこともあるんです。そのへんは紆余曲折あるんですよ。そんななかで、作る曲もやっぱり時流に影響されたりしてきていて。実際、今でもいろんな音楽の要素が入ってると思うんです。いわゆる様式メタルでもないんで、うちの場合。でもやっぱり、どんな音楽に出会っても、中学/高校時代に味わったメタルの衝撃というものを、まだどれも超えてないんでしょうね。そもそもはVAN HALENの『1984』が出発点だったんですが」

◆ちょうど30年前ということになりますね1984(注:この取材が実施されたのは2014年)。

「もちろんあれがメタルかといえば、そうじゃないという解釈もあるわけですけど、そこから入っていったわけです」

◆まず最初に、とても過剰なものを持ったフロントマン(デイヴ・リー・ロス)に惹かれてしまったわけですね。

「そうなんですよ。だからデイヴの要素はどこかに必ず入ってるんです、常に(笑)。元々はギタリスト志望やったんで、RATTとかDOKKEN、MÖTLEY CRÜEとかやってたんですけど」

◆冠さんの転機になった作品というと、『1984』以外にはどんなものがあるんです?

「やっぱりMETALLICAが出てきますよね。僕の場合は『MASTR OF PUPPETS』でした。ハード・ロックが好きやと言ったら、あるやつから“じゃあこれ聴いてみろ。世界一、速くてすごいから”とあのアルバムを聴かされて。もう、衝撃でした。音数が多過ぎて最初は理解できなかった(笑)。で、ちょっと放置してたんですよ。歌メロとかが特に好きな感じでもなかったから。でも、少し経って改めて聴いてみたとき、めちゃくちゃ嵌まってしまった。そうやってスラッシュ・メタル的なのも好きになってきて。当初はまだギタリスト志望だったからオジー・オズボーンのアルバムを聴いてランディ・ローズをコピーしたり、JUDAS PRIESTをコピーしたり。JUDASもめちゃくちゃ好きなんですけど、当初はギタリストとしての耳で聴いてたわけなんです」

◆その人が、まさか(JUDAS PRIESTの)ロブ・ハルフォードのような歌い方をするようになろうとは!

「面白いですよね。彼らの『PAINKILLER』ってアルバムが出たときに、また新たな衝撃を受けることになるんですよ。あのバンドは『TURBO』で一回ちょっとポップになって、次の『RAM IT DOWN』で“帰ってきたぞ!”という感じがあって、その次に出た『PAINKILLER』が僕にとっての決定打になった。そのとき僕は大学生ぐらいかな。一緒にやってたヴォーカリストが辞めて、“おまえ歌えや”となったときに出たのがあの作品だったんです。で、聴いてすぐに“ヴォーカルやりたい!”と思った」

◆“やりたい!”だけでできるようなものではないじゃないですか、あの歌は。

「もちろん当初はちゃんとできてなかったと思うんですけど、やれてるつもりでしたね。“ひゃ~”という声だけは出てたんでしょうね、きっと(笑)。で、そのあとPANTERAが出てくるわけです。アルバム的には『俗悪(VULGAR DISPLAY OF POWER)』で好きになりました。自分たちとしてはもうオリジナルをやろうって言ってる頃。聴いてみたらギターの音そのものがとにかく衝撃的で、“PANTERAのサウンドに、ロブみたいなヴォーカルが載ったら最強やん?”というところから始まってるのがSo What?だったりするんです。今、語ってきたようなアルバムやアーティストの要素って、全部僕のどこかに反映されてますよね。いでたちとかも含めて」

◆ええ。あのいでたちが、スタン・ハンセンではなくデイヴ・リー・ロスだったんだということもよくわかりました。

「ケツを出すのはデイヴから始まってます(笑)。で、プロレス好きでもあるんで、ハンセンとロード・ウォリアーズも下地になってるんですね。小学生のときからプロレスが大好きで。ロード・ウォリアーズが鎧みたいなのを付けて登場するときの入場テーマ曲が、BLACK SABBATHの“Iron Man”だったじゃないですか。あれを聴いて、子供心にめっちゃカッコいいと思ってた。そこでもうサバスが刷り込まれてたんですよね」

◆冠さんのメタル遍歴がとてもよくわかりました。もうひとつ冠さんについて語るうえで欠かせないのが、演劇の要素だと思うんですよ、劇団☆新感線の舞台とかにも出演されてるじゃないですか。それこそ『メタルマクベス』の舞台への出演を機に冠さんに興味を持ち始めたという人も、僕のまわりには複数いたりして。

「あれはもう、縁があって始まったことで。僕は自分がああいう舞台に立つことになるなんて思ってもみなかったですし。新感線のいのうえひでのりさんはJUDAS PRIESTが大好きで。確か『BURRN!』の誌面でもJUDAS PRIEST愛を語ってるそうじゃないですか(同誌2014年2月号に掲載)。当時、新感線がハード・ロックを流しながら舞台をやってるらしいという話は知ってたんですけど、ちょうど僕、デビュー前ぐらいのタイミングで聖飢魔Ⅱの前座をやらせてもらったときに、新感線のみなさんが聖飢魔Ⅱの曲で踊るという場面があって、前座の僕らを観てくださってたんですね。そこで“これはオモロい”ということになったらしく、そこでいのうえさんともお会いして、その後もライヴに足を運んでくださってたんです。だから実は20年近く前から繋がり自体はあって、“何かあったらよろしくお願いしますね~”みたいな話はしてたんですよ。で、それから十数年を経て、急に電話がかかってきて。当時はもうSo What?も辞めて、THE冠をシコシコひとりでやってたわけなんですけど、“ちょっと事務所来てや”と。そこで“メタルを題材にした舞台をやるにあたって、おまえのシャウトが欲しいんだ”と言われて」

◆それ、最高の口説き文句ですね!

「泣きそうになりました(笑)。ちょうど週5でバイトしてるような時期やったんですよ。THE冠を始めるには始めたけど、なかなか軌道に乗らないし、みんなサポート・メンバーだったし。バイトで稼いだお金でライヴをやって、みんなにギャラ払って……赤字になることも多かったし、借金も膨らんでくるし、しんどかったですよ。“自分、ホンマに大丈夫か?”と思ってた。そんなときに“おまえのシャウトが欲しいんだ”と言われたわけで」

◆そのまま映画になりそうなくらい、いい話じゃないですか。『レスラー』に匹敵するかも。

「もしくは『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』ですよね(笑)。実際、あれは素晴らしい舞台でした。僕は右も左もわからぬままにやらせていただいたわけですけど。あそこで本当のプロの現場というのを経験させてもらった気がします。演出にしろ小道具にしろ、ものすごく細部にまでこだわってるんです。これがプロの仕事なんやな、と思いましたね。それまでの自分がいかに緩かったかがわかった。結果、自分自身の動きであったり、お客さんを意識しながらの目線の運び方だったり、そういったことも大いに学ばせてもらって。そこでの経験もTHE冠の現在のあり方にはすごく影響してます」

◆なるほど。そしてこの春、さきほども話に出てきた最新アルバム、『帰ってきたヘビーメタル』に伴うワンマン・ツアーが控えているわけですが、今年はどんな活動を?

「年頭の意気込みとかを語ろうとすると毎年同じようなことになるんですけど、今年はね、変えてやろうという気持ちが強いんです。THE冠には“おもしろヘビメタ”のみならず、“貧乏ヘビメタ”とか“売れないヘビメタ”とか、相変わらずそういうイメージがあるんですよ(笑)。やっぱりテレビの影響というのは強くて。それを、絶対に音楽で見返してやりたいという気持ちはね、めちゃくちゃ強くなってます。特にこのアルバムができたことによって。だから、いわゆる正統派と呼ばれる人たちのなかにも普通に入っていって、普通にオモロいパフォーマンスをしながら勝負をしていきたいんです。イロモノというか、変わったバンドとして見られるのは全然構わないんですよ。だけど、正統派の人たちのなかに入っていっても真正面から勝負できるバンドなんだってところを見せていきたいですね。まあ、相手が嫌がるかもしれないですけど(笑)。そういう活動を今年は積極的にやっていきたいです。正統派がナンボのもんや、みたいな。“どっちが正統派か教えたろか?”ぐらいの気持ちをもって」

◆要するに、“ヘビーメタル”が“ヘヴィ・メタル”を超えることがあってもいいじゃないか、ということを身をもって示す年にしたい、と?

「まさしく! それこそ、いわゆるメタル・フェスとかにも出て行きたいですけど、もっと言えば自分のフェスをやりたいぐらいなんです。実は今、その計画も立ててますんで。ちゃんとヘヴィ・メタルをやってるバンドにも出ていただいて、僕らもそこに一緒に出て、しっかりメタルというものの底上げをしていきたいんです。だから2014年、今年は新しいメタル元年になりますよ。メタルが絶滅危惧種と言われたのは、去年までのことです(笑)。ちょうどいい時期なんですよ。年齢的にもちょうど僕、厄を抜けますし(笑)。もうここまで来たら、僕にはもうこれしかないんで!」



▲こちらのインタビュー記事のオリジナル版が掲載された『MASSIVE Vol.13』。


▲そしてこちらが肝心の最新作『日本のヘビーメタル』。必聴です!

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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。