そろそろオンライン取材、オンライン会議、オンライン飲み会などをやる必要が出てきそうだな、などと感じている今日この頃。正直、スカイプでやりとりをするのもあまり好きではない(そう、単純に好きじゃないだけなのだ)僕ではあるのだが、先日、YouTubeにアップされた素敵なセッション動画には思わず釘付けになった。Rio、u:zo、金子ノブアキというお馴染みのミュージシャンたちによるJANE'S ADDICTIONの“Up the Beach”のカヴァーだ。
この楽曲は1988年にリリースされた同バンドのアルバム『NOTHING'S SHOCKING』の冒頭に、作品全体にとってのイントロダクションのように収められていたもの。同作は僕にとって1989年のベスト・アルバムのひとつに数えられるものだし、今でも大好きなままだ。この作品との出会いが自分の興味を、いわゆるオルタナティヴ側へと向けてくれたようにも思う。もちろん当時はオルタナティヴなんて言葉自体もあまり耳慣れないものだったし、意味もよくわからずにいたわけだが。
当時の僕はBURRN!の編集部に籍を置いていて、主にその時代なりのメタルについて書いたり取材したりしていたわけだが、多くのミュージシャンたちの口から「最近はRED HOT CHILI PEPPERSやFAITH NO MOREに注目しているんだ」「いわゆる80年代的なMTV主導型のメタルはもう古い」みたいな言葉を聞くことが多くなりつつあるなか、注目すべき存在としてよく名前が挙がるバンドのひとつがJANE'S ADDICTIONだった。
そして実はこのバンドのインタビュー記事が、『NOTHING'S SHOCKING』の次作にあたる『RITUAL DE LO HABITUAL』発売当時、BURRN!誌にも掲載されている。同年9月、ペリー・ファレルと電話で話したのだ。正直、僕はかなりビビっていたと思う。なにしろ普段からよく取材しているようなメタル・バンドの人たちとは明らかに雰囲気が違っている。絶対に「Oh yeah!」という感じのノリではないはずだし、よくわからないアートのこと、文化のこと、政治のことにまで話題が及んだら話に付いていけなくなるかもしれない。ただ、そこで通訳さんに取材代行を依頼しなかったのは、そうしたことに対する恐れよりも「いったいどんな人なんだろう?」という好奇心が上回っていたからなのだと思う。
当時、アメリカでは検閲が大きな問題となり(PMRCという忌々しい存在、憶えてますか?)、表現の自由について取り沙汰されることが多くなっていた。そうした米国社会における諸問題については、ニューヨーク在住のジャーナリスト、林洋子さんによる現地レポートが毎月のBURRN!の誌面に掲載されていたのだが(検閲ばかりではなく、さまざまな差別、銃社会などに関する記事もあった)、ちょうど林さんの『検閲vs表現の自由』という記事が載っていた号に、そのページに続く流れのなかでペリーのインタビューも掲載されている。
『RITUAL DE LO HABITUAL』は、検閲、表現の自由というテーマとは関係の深い作品だった。なにしろアルバム自体が二種類のアートワークで発売されているのだ。ひとつはペリー自身によるアート作品で、セックスを連想させるもの。生身の人間ではなくあくまで創作物にすぎないのだが、人体の〈見えてはいけない部分〉が露出しているのだ。で、そこに目くじらを立てた団体もあれば、そうしたジャケット写真を伴う作品を店頭に置くことを拒否した販売店もあり、バンド側はもうひとつ別のアートワークでも同作を出さなければならなくなったのだ。そちらは真っ白の簡素なジャケットに、表現の自由を認める合衆国憲法の条文が印刷されている。ペリーと話をしたのは、そんな同作がリリースされて間もない頃のことだった。まず彼に同作に対する世の反応を聞くと、次のような答えが返ってきた。
「世間の反応は真っぷたつに分かれているんだ。とことん好きか、大嫌いかのどちらかさ。俺個人としては、思ってた通りの方向に物事が進んでいると感じている」
「アメリカでは今、”表現の自由”に関して熱い議論が繰り広げられていて、検閲というシステムが、政治的な立場に関わりたがっている人たちにとっての意見として利用されているんだ。センサーシップの名のもとに、彼らは俺の芸術作品を検閲し、別のアルバム・カヴァーでリリースさせることによって、表現の自由を持つという権利を俺から奪い去った。それで連中は、いい気になっているわけだよ」
「このバンドを始めるより以前の。知名度がまったくない頃からああいうものを創作していたし、たとえ有名になったからといって、そうした部分を抑えたり削除したりする必要はないと思う。そうやって妥協したら、自分の気持ちに正直なものではなくなってしまう」
ペリーは穏やかな口調で話してくれた。このインタビューはBURRN!誌1990年11月号に掲載されているのだが、今から30年近く前のこの記事に改めて目を通してみて感じさせられたのは、当時29歳の自分がちょっと頭でっかちになりそうになりながら頑張っているなあ、ということ。おそらくかなり下調べもしたのだろうし、質問作成にも入念に取り組んでいたのだろう。僕の担当する取材記事は、年月を経ていくうちにだんだんと〈自分の知らないことを聞き出す〉ためのものよりも、〈相手の考えや人間性を引き出す〉ものが多くなってきている。もちろんそれはそれで楽しいしやりがいのある仕事なのだが、若き日の自分の記事をひさしぶりに読んでみて、なんだか少しだけ背筋を正されるような思いがした。
インタビューの終盤、僕は「今現在のアメリカはたくさんの問題を抱えているはずですが、そのなかでもいちばん深刻なのは何だと考えていますか?」と質問している。それに対するペリーの回答は当然ながら1990年9月という時制でのものだが、改めて読んでみると、結局のところそれ以降すべての時代に当て嵌まることなのではないかと思えるものだった。彼は、以下のように語っている。
「政府そのものが問題だな。でも、これから目まぐるしい変革が起こるよ。物事というのは良くなる前にかならず一度、最悪になるものなんだ。わかる? それこそ60年代当時、この国には非の打ちどころのない大統領がいて、社会はとても明るかった。ところが突然、暗殺事件が起きて、酷い大統領が就任して、世界各地で戦争が起きることになった。60年代のキッズは世界そのものに関心があり、とても情熱的だったけれど、政府はその後、何事についても悪い面をひた隠しにして、何もかも大丈夫で心配することはないと言い続けていた」
「それによって、たとえばエコロジーは危機に瀕していた。そして今、人々はその問題に注目し始めている。権力を握っている人間だってどうせ死ぬことになるわけで、後世のことなんか気にもかけないし、海が汚染されようが知ったこっちゃないという感じだけども、そこでロック・ミュージックというのは、問題を伝える役目を果たしているように思う。キッズは賢くなっているし、ラジオにしてもそうしたメッセージを伝えるのには非常に効果的なメディアだといえる。だから近いうちに、もっと多くの人たちが現実を知ることになるだろう。ミュージシャンもそうしたことについて口を開くことが多くなってきているし、そこに耳を傾けることで人々が賢明になっていけば、世の中は好転していくと思う。もうこれ以上住んでいられない、というくらい地球が破滅に近付いていることに気付くだろうね。今のアメリカはそんな感じだ。まあ、日本にもおそらく馬鹿な指導者はいるんだろうけど(笑)」
そしてインタビューの最後、「音楽の力で世界を変えることは可能だと考えていますか?」と尋ねると、彼は次のように回答していた。
「そうだね。そう思っている。俺たちアーティストこそが政治家たちに立ち向かうべき存在なんだ。人々はあまり活字を読まなくなってきているけど、テレビだったら意思を伝達するうえでも非常にインパクトがある。だからMTVの位置だって、重要になってくるわけだ。そうした考えがあるからこそ、俺たちはアルバム・カヴァーに合衆国憲法の第一条を印刷したんだよ。これこそが、俺を守ってくれるものなんだ。集会、抗議の自由が認められているんだし、そういう権利を行使するのはごく自然なことだからね」
▲2種類のアルバム・カヴァーでリリースされた『RITUAL DE LO HABITUAL』(1990年)。
▲こちらがその前作にあたる『NOTHING'S SHOCKING』(1988年)。
▲そしてこのインタビューが掲載されていたBURRN!誌1990年11月号はこちら。この表紙、この掲載内容の号にJANE'S ADDICTIONが載っていたというのは、なかなか大胆というか柔軟だと思いませんか?
増田勇一のmassive music life
いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。
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