終わりなき検索:ブライアン・ハウの訃報

発端は、ブライアン・ハウの訃報だった。1986年、かのBAD COMPANYにポール・ロジャースの後任として起用され、4作のオリジナル・アルバムで見事な歌唱を披露していた名ヴォーカリストが、心停止により5月6日にフロリダの自宅で亡くなったのだという。彼は以前から心臓に問題を抱えていて2017年にも心臓発作を起こしており、この日も病院に向かう予定だったらしい。66歳だった。彼はソロ名義での活動を続けていて、この先ににはライヴの予定もあった。

フロリダ在住だったとはいえ、彼はそもそもは英国人でポーツマスの出身。そのキャリア初期には、アルバムにこそ参加していないものの、NWOBHM期のバンドのひとつで、現IRON MAIDENのヤニック・ガーズを擁していたことで知られるWHITE SPIRITの一員だったこともある。また、MEGADETHの『CRIPTIC WRITINGS』(1997年)では、収録曲のひとつである“I'll Get Even”の共作者としてクレジットされていたりもする。

僕が彼の歌声と出会ったのは、BAD COMPANYの作品でのことではなく、彼がそれ以前に1枚だけ参加していたテッド・ニュージェントのアルバムでのことだった。1984年1月に発表された『PENETRATOR』だ。全米アルバム・チャートでの最高ランクが56位というこの作品をテッドの代表作に挙げる人はあまりいないと思うが、僕にとってはその年に出たなかでも特に好きなアルバムのひとつだった。1984年といえばBURRN!創刊の年にあたるわけだが、念のため当時のバックナンバーを引っ張り出して調べてみたら、僕はこのアルバムに収録されている“Knockin' at Your Door”を年間ベスト・チューンの第5位に選んでいた。

実はこの“Knockin' at Your Door”はテッドのオリジナル曲ではなく、FREEのベーシストとして知られるアンディ・フレイザーの作によるもので、彼自身によるヴァージョンも同じく1984年に発表された彼のソロ・アルバム『FINE FINE LINE』に収録されている。彼の名前がソングライターとしてクレジットされている曲のなかでいちばん有名なのは、当然ながらFREEの“All Right Now”ということになるわけだが、ちょっと検索してみたらロバート・パーマーが1978年にヒットさせた“Every Kinda People”も彼の作による楽曲なのだということがわかった。当時好きだった曲のひとつではあるが、作曲者が誰かまでは知らずにいた。ちなみにロバート・パーマーは2003年、アンディ・フレイザーは2015年に他界している。

話を『PENETRATOR』に戻すと、このアルバムには他にもブライアン・アダムスとジム・ヴァランスのコンビの提供による“(Where Do You)Draw the Line”、テッドがロビン・ジョージを共作者に迎えて作られた“Go Down Fighting”、ジョー・リン・ターナーが在籍していたことで知られるFANDANGOのカヴァーである“Blame It on the Night”なども収められていて、それら以外はほぼテッドの作となっており、ソングライティング面においてブライアン・ハウの名前は一切クレジットされていない。ただ、実はこのアルバムの幕開けを象徴的に飾っていた“Tied up in Love”をはじめ、いくつかの曲は彼の貢献なしには生まれ得なかったものであるようだ。

今回、ウィキペディアなどを眺めていて初めて知ったことだが、当時の彼は上限450ドルの週給でテッド側に雇われていたに過ぎず、楽曲に正当なクレジットが伴わなかったことにも相当なフラストレーションを抱えていたようで、それがテッドとの活動がこのアルバム1枚に終わった理由でもあったらしい。当時の相場として450ドルというのがどの程度妥当なものだったかについてはなんとも言いようがないが、結果的に『PENETRATOR』がブライアンにもたらしたのは、そこでの歌唱の素晴らしさが認められてBAD COMPANY加入への道筋が開けたことだけだったと言ってもいいかもしれない。余談ながら、彼をBAD COMPANYに紹介したのはFOREIGNERのミック・ジョーンズだったのだという。当時はFOREIGNERもBAD COMPANYもテッドも、みんな同じアトランティック・レコードに所属していた。

そうやってあれこれ検索しつつ、途中で“(Where Do You)Draw the Line”の原曲が聴きたくなって、ブライアン・アダムスの名盤『RECKLESS』(1984年)の30周年記念盤にボーナス・トラックとして収録されている同楽曲を聴いてみたり、ブライアンのパートナーとして知られ他にも数多くの共作歴のあるのジム・ヴァランスのオフィシャル・サイトを覗いてみたらめちゃくちゃ資料性が高くて驚かされたり、FANDANGOのギタリストはリック・ブレイクモアという名前の人だったよなあ、などと思い出してみたり。のちにRAINBOWに参加するジョー・リン・ターナーの本当の姓はリンキートだが、彼にリン・ターナーと名乗るよう提案したのがブレイクモアだったらしい。彼の若き日のキャリアはリック・ブレイクモアとともに始まり、リッチー・ブラックモアとの合体により最大の転機を迎えることになったわけだ。

ふたりのギタリストの名前は実に紛らわしいが、大野祥之氏による当時の『PENETRATOR』の日本盤ライナーノーツには"Blame It on the Night”の作者としてクレジットされているリック・ブレイクモアの名前について「誰が見たってオフザケの変名としか思えない」という記述もみられる。無理もない話だ。僕は当時、たまたまジョー・リン・ターナーの過去に興味があって『炎の肖像』というFANDANGOのベスト・アルバムを手に入れていたのでブレイクモアの名を知っていた(もちろん、大野氏と同様、オフザケみたいな名前だと感じていた)けども、当時はその名前だけをたよりに彼が何者かを調べる術などなかった。

何が言いたいのかといえば、インターネットのお陰で調べものをするのもずいぶんラクになったということと、ちょっと検索すればわかることが増え過ぎたことで、深堀りを始めると出口が無くなるよなあ、ということ。ただ、これもまた音楽ファンとしての愉しみの一部であることは間違いないし、こうした作業が嫌いじゃない自分にはこの仕事が向いているということなのかもしれないな、とも思う。

さて、ふたたびブライアン・ハウの話。彼が参加したBAD COMPANYの作品のうち、『HOLY WATER』(1990年)は全米アルバム・チャートで最高35位を記録し、100万枚を超えるセールスをあげている。そして、彼らがその年の夏に行なった北米ツアーの際にスペシャル・ゲストに迎えられたのが、他でもないテッド・ニュージェントがジャック・ブレイズやトミー・ショウらと始動させたDAMN YANKEESだった。当然ながら両者が接触する機会は多々あったはずだが、それぞれ心情的には単純ではないものを抱えていたのではないだろうか。

また、このアルバムを含め、当時のBAD COMPANYの楽曲の多くはブライアンとテリー・トーマス(g,key:元CHARLIE)の共作曲となっており、ブライアンは過去のインタビューのなかで、ミック・ラルフス(g)やサイモン・カーク(ds)が制作面であまり協力的でなかったことを認めている。もちろんミックやサイモンの側にも言い分はあるはずだが、結局は『PENETRATOR』の時と同じように、どんなに貢献してもそれが大きなバンドの看板の陰に隠れてしまいがちな現実に、やりきれないものを感じていたのかもしれない。だからこそ、彼がのちにソロに転身したことにも納得がいく。こうした彼の音楽人生について知ったうえで取材できる機会があればよかったのに、などと今さら言ってもどうにもならないが、せめて愛着のあるあの歌声を忘れずにおきたいし、彼のことに限らず、これまで知らずにいた背景を掘り下げることを続けていきたいと思う。

▲1984年のフェイヴァリット・アルバム、『PENETRATOR』はこちら。『刺青の侵入者』という邦題が付けられていた。

▲ブライアン・ハウ在籍期のBAD COMPANYの代表作といえば、やはりこちらの『HOLY WATER』(1990年)だろう。時代的には、80年代的メタルが出尽くし、グランジの波が押し寄せてくる直前の頃ということになる。

▲ブライアンの他界を伝える、彼のオフィシャル・サイトの記事。

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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。