ピーター・グリーンとFLEETWOOD MACの記憶。

FLEETWOOD MACの創設者のひとりであるピーター・グリーンが亡くなった。73歳だった。詳しいことが報じられるのはこれからだろうが、どうやら眠っている間にそのまま旅立ったということのようだ。どうかその眠りが安らかなものだったと願いたい。

FLEETWOOD MACを知ったのは中学3年生の頃。彼はすでにバンドを去っていて、ギタリストはリンジー・バッキンガムだった。しかも当時の僕にとってブルーズというのは〈大人向けの、どこか怠くてよくわからない音楽〉という感じのものだったから、『FLEETWOOD MAC』(1975年)や『RUMOURS』(1977年)を夢中になって聴いてはいたが、「元々はブルーズ・バンドだった」という背景を雑誌の記事やアルバムのライナーノーツを読んで知ってはいても、その歴史について掘り下げることまではしていなかった。

そんな彼らの初来日公演が行なわれたのは1977年12月のことだった。僕にとっては高2の冬ということになる。その時のライヴは素晴らしかったし、基本的には大好きな2枚のアルバムからの曲のオンパレードだったが、聴いたことのない曲がひとつだけあって、それが耳について離れなかった。リンジー・バッキンガムが歌った“Oh Well”というその曲が、バンドの初期の曲で、ピーター・グリーンという人が作ったものだというのを知ったのは、おそらくどこかでそのライヴ評を読んでからのことだったはずだ。正直なところ、最初は「なんか変な曲だなあ」と思っていたのだが、変であるからこそなのか、妙に忘れられなかった。もしかしたらそれが僕にとってのブルーズ・ロック初体験だったのかもしれない。もちろんそれ以前にも、ブルーズだと意識せずに聴いていたその類の曲はたくさんあったはずだけども。


こちらが原曲。そしてこの動画を探していた際に同時に見つけた、ジミー・ペイジがTHE BLACK CROWESと一緒にこの曲をやっている動画も紹介しておく。

そういえば先日、母の遺品整理のために実家に行った際にみつけた自分の古いアルバムに、初めてFLEETWOOD MACを観た際のチケットが貼ってあった。しわくちゃでしかも黄ばんでいるのは、きっと公演中にポケットにでも突っ込んでいたからなんだろうね。しかしS席なのに、しかもやや端のほうとはいえ武道館のアリーナ席の前のほうだというのに、チケット代が3000円というのが今となっては信じ難くもあるけども。

そんなことはともかく、改めてピーター・グリーンの冥福を祈りたい。そして、あの時に“Oh Well”という曲に出会うことがきて良かったな、と思う。

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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。