足立“YOU”祐二、2012年2月の記憶。

6月19日、ギタリストの足立“YOU"祐二さんの訃報が届いた。DEAD ENDがオフィシャルサイト上にてこの日の午前をもって公表した情報によれば、6月16日、敗血症により永眠されたとのこと。あまりに突然で信じられない気持ちだが、何よりも今は彼の眠りが安らかなものであることを祈りたい。

今はまだ追悼記事など書けるような気持ちの余裕がないのだが、彼と最後に長いインタビューをしたのは2012年の2月、DEAD ENDのアルバム『Dream Demon  Analyzer』完成直後のことだった。そして今でもよく憶えているのは、この時の取材を経て「ああ、この人はやっぱり天才なのだ」と感じさせられたことだ。当時の取材原稿がそのまま保存されていたので、この場で紹介したいと思う。以下が、その際のやり取りのすべてである。

                  

■完成後の音源、普段から聴いてます?

「いや、俺は聴いてないです。まったく聴いてない。これまでの作業を通じてホントに聴きまくってきたから、自分のなかで新鮮味が失われてしまうのがすごく嫌で。だから自分から聴きたくなるか、聴かざるを得なくなるまでは(笑)、触れずにいようと思ってて」

■作品はライヴで化けていくもの、という前提だったりもするんでしょうか?

「練りに練ったアレンジというわけじゃないことは確かで。ほぼ9割は第一印象でやってるというか、“浮かんだものをやる”というシステムなんですよね。なんせ考えない。それが今、最短で作品を作れるシステムで。だからたとえば1曲できたとき、“ちょっとコード進行を変えてみようかな?”みたいな作業を試すぐらいだったら、むしろもう1曲違う曲を作るという考え方。だからとにかく、最初に浮かんだアイデアを採用する。それはもう前作のときから同じことで」

■それは、自分が提示するものについて相当の自信がないとできないことですよね?

「いや、もちろんそうやって提示する前の段階で、大半のものは自分の頭のなかでボツになってるんですよ。ほぼ9割は、それこそギターすら弾かないままに抹殺される。逆に残りの1割は、本当に決め打ちじゃないと」

■朝に完成した曲を同じ日の午後に録る。そういった作業が可能なのは、頭のなかでプリプロが行なわれているからなんですね?

「うん。たとえば“ここの何小節をここに持ってこよう”みたいなことを実作業ですることは一切ない。前にソロ・アルバムを出したときに、“今回は全部、頭のなかで曲を書こう”と決めて作って、それがすごく良かったんですね。それ以降、ずっとそのシステムを変えることなく今に至ってるというか。だから“曲を書く”という言い方は俺には合ってないかな。浮かんだもののなかから、自分で高得点を付けられるもの、みんなに聴かせるに値するものだけを選んで実作業に移していく、という感じだから。それ以外は頭のなかから抹殺されるんで」

■聴くに値するもの。その判断基準は?

「やっぱりそれは、今ならば“MORRIEとJOEが聴いたらどう思うんやろう?”ということ。だいたいね、イントロが浮かんだらガーッとエンディングまで出てくるんですよ。サビが浮かぶときはサビだけが浮かぶわけじゃなくて、それに伴うビートから全体的な雰囲気まで出てくる。だから俺は、ドラムの細かいところまでいちいち打ち込んだりしない。頭のなかにあるからその作業をする必要はないわけで。逆に、ギターでイントロのリフから順番に作っていこうとすると、すごく時間がかかって、おそらくこんなスケジュールでは全然無理っていうか(笑)。時間をたっぷりもらえるならそれでもいいけど。面白いのはね、たとえばメロウな曲を作るときは情景が浮かんでるとかみんなよく言うけど、俺の場合はメロウな曲だろうとハードな曲だろうと関係ないんですよ。どんな曲を作るんであっても同じ状況なんです」

たとえばバラードを作るための雰囲気作りとか、そういったことをすることもない?

「ないない。雰囲気を作ることで曲ができるくらいだったら、蝋燭の百万本ぐらいすぐ用意しますよ(笑)」

■つまり、自分の気持ちひとつでいつでも曲は作れるということですね。

「そういうことになりますね。ただ、裏を返せば、どこに行ってどんな情景があっても書けないときは書けない(笑)。俺はね、何時間も空を見たりとか平気でできる人間なんですけど、そういう時間がすごく重要だったりするんですよ。ただし綺麗な朝焼けを見てるからといって綺麗なメロディが浮かぶかといえば、それは別問題なんです。あと、ギターで曲を作ろうとしないのは、好みが出ちゃうからでもある。ギターで作ろうとすると、どうしても気持ち良く弾けるコード進行とかで作ってしまうところがあって」

■性癖みたいなもんですかね。

「まさにそう。絶対に自分のパターンがあるんですよ。でも頭で鳴ってるコードを探そうとすると、ギターではあり得ないようなキーだったりとかして、その新鮮な響きに自分自身がやられてしまう。本来自分の好みじゃないようなものまで出てきちゃうんですよ。曲作りだけじゃなく、ギター・ソロとかについても俺は手癖で弾くのが嫌なんですね。好みとか癖だけでやるのが。どうしてもギタリストというのは、そうやってルールを課さないとギタリスト目線になりがちというかね、レンジが狭くなってしまうわけですよ。せっかくこれだけのメンバーと一緒にやってるわけだから、俺は面白いことをやりたいし、同じことばかりやりたくないし」

■ギタリストとしてよりも作曲者としての自覚のほうが大きいんですね。

「俺はぶっちゃけ、あんまりギタリストとは思ってないですよ。サウンドはヘヴィだし、あくまでロック・ギタリストというカテゴリーではあると思うけど、パーセンテージでいけば作家としての意識のほうが強いと思う。確かに結構長めのソロを弾いてはいるけど(笑)、極端な話、俺が全部のソロを弾かんでもいいかなと思ってるぐらいで。ただ、自分が弾くのが表現の都合上いいかなと思ってるだけのこと。まあ、俺の一番弟子を自称してる大塚君(=MORRIE)もなかなかやりますけど(笑)、今のところはね。だからどうあれ、“こんなソロを弾きたいから”みたいなことは俺の動機にはなり得ないというか」

■そこにまわりからの見られ方とのギャップが少なからずあると思うんです。“様式美系の弾きまくりギタリスト”みたいな認識をされている部分も確実にあるじゃないですか。

「うん。でも、そこは俺らの音楽を聴いてもらえればわかるはずというか。実際、学生のときはマイケル・シェンカーとかが大好きで、このバンドの前には様式美系バンドでやってたこともあるから、そういうイメージがあるのは無理もないと思うけど、このバンドのサウンドにはそんなもの微塵もないというか。昔、自分のアイドルだったプレイヤーの使用機材を真似したりとか、その人と同じような傾向の音楽を聴いてみたりとかって、よくあるじゃないですか。俺の場合それとは逆で、好きだからこそそういうことはしないって、19歳とか20歳のときに決めてきたんです。まず模倣が嫌なんですよ、絶対に。やっぱり自分はプロじゃないですか。だから基本的に他の人たちの音楽も聴かないしライヴも観に行かない。そこに憧れたくないというのがあるんですよ。“これ、カッコええなあ”というものがあったら、観てるだけで少なからず影響されるんですよ、絶対に。それこそ高校生のときには、夢にまで見るぐらいのギタリストがいたんで、自分でもそれはよくわかるんです。本当はいろんなライヴを観ることも必要なのかもしれないけど、俺はそれを徹底的に避けてる。やっぱり極端なことをしないと、極端な結果なんて絶対出ないんですよ。俺はもうだいぶ前から他人の音楽もほとんど聴かなくなって、ライヴにも行かなくなって……その結果が“今”ということにもなると思うし。そう、10代の頃にいろんな影響を受けてきて、それを自分なりに消化してきた結果が“今”なんです。逆に、今みたいなシステムで曲作りをすることで、本来自分のバックボーンにはないはずのものが出てくることのほうが楽しくて仕方がないんですよ」

■面白いですよね。YOUさんは音楽を作るために音楽を吸収するということを、少なくとも今はしていない。そうなってくると普通はルーツに忠実過ぎるくらいのレンジの狭い音楽になってしまいそうなものなのに、むしろ逆の結果になっている。そうなり得ているのは何故なんでしょう?

「それはやっぱりうちの親分(=MORRIE)が怖いからじゃないですかね(笑)。いや、実際それはデカいと思いますよ。DEAD ENDという場でなかったらこうはなってなかったと思う。確かにデビュー以来、他のバンドをやったことがないから断定的には言えないけど、“このバンドだから”という部分はすごく大きいはずで」

■たとえばYOUさんがかつて多大な影響を受けたマイケル・シェンカーは、誰にも似ていなかったし、だからこそYOUさんも好きになったわけですよね? そして自分自身も、同じようでありたいと考えている。

「根本的にはそうかもしれない。学生時代とか、雑誌の記事以外に情報源がなかったじゃないですか。で、マイケルのインタビューを読むと、レズリー・ウエスト以外はまったくコピーしなかったとか言ってるわけですよ。俺はおそらくWISHBONE ASHも聴いてたはずやと睨んでたけど(笑)。それはともかく、俺も同じようでありたいと思ったのは確かで。尊敬するがゆえに聴かない。だから変な話、こんなに好きだ好きだと言っておきながら、マイケルのライヴを観に行ったことがないんですよ。そこには、自分の神様には完璧な存在であって欲しいからというのもあるし、ちょっとでも失望するのは嫌だという気持ちもある。そういうふうに極端な姿勢でないと俺は駄目なんです。極端なことをしないとうまくいかないのが、自分でよくわかってるというか」

■少なくとも何かを得るために観たり聴いたりすることがない。むしろそれ以外の動機ならばOKということなんでしょうね。

「そうかも。だからライヴは最近はDIR EN GREYしか観てないですもん(笑)。正直、彼らの音楽がものすごく自分の好みというわけじゃないんですよ。だけど、あの人たちのライヴにはものすごいエナジーがほとばしってて、単純に観ていてすごく面白いし、違った意味で触発される何かがあるんですよね。自分が普段やってることとはまったく違うけど、だからこそ興味深いというか。そういうものを観るためなら足を運べるんです。何かを吸収してやろうとかそういう欲求がそこにないから、自然に観に行けるというか」

■今さらあれこれと吸収する必要がないのは、もうとっくにたくさん吸収してきたからでもあるわけですよね、きっと。

「そうなのかなあ。若い時分から、何でも吸収しようと思っていろいろやってきたわけではないから。俺はね、10個のいろんなフレーズを持つことより、誰よりも突出したクオリティのフレーズを3つだけ持ってたいんです。その代わり、その3つのクオリティがホンマに研ぎ澄まされてないといけない。そういう考え方なんです。いろんな奏法をマスターしたいとか、そういう欲求もないし。やっぱり一音の強烈さが欲しいんですよね。そこに尽きるというか。そのためやったらいくらでも勉強もするし努力もしますよ。究極の一音のためやったらいくらでも時間は費やすし、どこへでも足を運ぶと思う。それは自分が一生、怠ったらいけないことだと思うから」

■そういった話を聞けば聞くほど信じがたいのは、YOUさんがギターを弾いていなかった時代があるということ。あの長い空白の時代は、どうしていたんですか?

「実際、弾けなかったんですよ。左耳の状態が良くなかったことがあって。難聴じゃないんです。逆にものすごく良く聴こえる。今もたまに調子が悪くなることがあるんだけど、左右の耳でピッチがちょっと違ってくることがあるんです。TVを観てても、人の話し声にずっとショート・ディレイがかかってるような聞こえ方になったり。街を歩いてて耳にするバイクの音とかいろんな生活音についてもそれは同じこと。だから当時は音に対する恐怖心みたいなものがあって、無音がいちばん楽だったわけですよ。結局、そういう状態が何年か続いて……それで、元々聴かなくなりつつあったものを、まったく聴かなくなった。商店街を歩くのも気持ち悪くなって、外にも出なくなったし。でもね、そんな時間がこんなにもあったから、今、こうしていられるのかも。面白いのはね、ギターを触ってなかった何年間かも曲だけは作ってたこと。ギターを弾くことは心地好くなかったからギターで作るわけにはいかなくて、頭のなかで作ったものをコンピュータに入力して。そういうことを5年だか6年だかやってきて」

■演奏ではなく作曲ばかりを?

「うん。少なくともアンプを通して音を出すということはずっとやってなかった。そうやって鳴らしても自分が大丈夫なのかどうかすらわからなかったから。で、そんなときにRYUICHIから“1曲弾いて欲しい”というオファーがあって、“うわあ、大丈夫かなあ”と。ところが、いざ現場に出向いて結構大きな音で鳴らしてみたら、まったくOKで。“俺、もしかして大丈夫なのかなあ?”と思う切っ掛けになったのがそのレコーディングやった。その後、ちょっと不安を抱きながらも彼のツアーに参加させてもらうことになったんだけど、そこでも結果的にまったく問題なくて。だから彼にはものすごく感謝してるんですよ。あのとき声を掛けてもらわなかったら、今もギターを弾いてなかったかもしれないし。お陰様であのとき以来、音楽活動するうえで支障はまったく感じてないし。だからね、今、“ギターを弾いてて大丈夫なんや”と思えることが俺はいちばん嬉しくて。あんまりこんな話はしたことがなかったけど、結局はそういった事情もあって今みたいなスタイルに辿り着いたという部分もあるんです。だから今にして思えば、あの時期というのがすごく重要だったのかもしれない。当然その頃はまだ、またDEAD ENDをやることになるとは思ってもみなかったけど」

■その話を今聞くことができて、僕も嬉しいです。そして最後に。 YOUさんにとっての現在の夢って何です?

「そうだなあ。すごくそれを目指してるというわけじゃないけど、やっぱりDEAD ENDとしてもうちょっとお茶の間に……浸透したいという言い方は正しくないかもしれないけど。たくさん売れたいとかじゃないんですよ。それとはニュアンスがちょっと違う」

■お茶の間に進出したい。遠い昔にもそんな言葉を聞いた記憶があります。要するに、どんな人が聴いても響くものがあるはずの音楽であるはずだから、ということですよね?

「うん。特にギタリストって年齢を重ねるごとに渋くなっていきがちな傾向があるじゃないですか。でも俺はまったく逆というか、どんどん新しいものを創造していきたいし、独りよがりではありたくないし。縁あって一緒にやってるこの顔ぶれと一緒に作ってる音楽は、決して狭いものではないと思ってるから」

この記事は2012年3月に発売された『MASSIVE Vol.5』に掲載されている。


同号の表紙はTEHE GAZETTE。

ただ、「限界を超えて」というキャッチコピーは、実はDEAD ENDのある曲の歌詞にちなんで付けたものだった。

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