1992年の3月5日はニューヨークに居たようだ。日記はつけていないが当時の記事にそう書いてあった。この日の取材対象はマイケル・モンローとスティーヴ・スティーヴンス。まだ試聴音源が1曲もない状況下での、JERUSALEM SLIMとしての初取材だった。冷静に考えてみるとすごい話だが、この2人の合体にはそれくらい事件めいた価値があったということになるだろう。
たぶん彼らが2人で一緒にインタビューを受けたのはこれが初めてだったのだろうし、この後にもほとんどそうした機会はなかったはずだ。そして、実はこの取材を終えて帰国し、興奮しながら大急ぎで書いた記事が同年4月5日に発売されたBURRN!誌5月号の巻頭を飾る頃には、実はこのバンドはもはや空中分解しかけていた。同じ号ではMÖTLEY CRÜEを脱退したヴィンス・ニールがソロ活動の準備を進めつつあるとのニュースが報じられているが、スティーヴはそっちに合流することになったのだった。
ジーザス・クライストを意味するJERUSALEM SLIMというバンド名を意識しながら、僕はこのインタビュー記事にかなり気張ったリード文を付けている。「1992年、ロックンロールの聖地ニューヨークに生まれたひとつの新しい生命」とか「この力強くも華麗な運命共同体は、荒れ果てたシーンの救世主となり得るのか?」といった具合に。今読むとかなり気恥ずかしい感じではあるのだけども、このバンドが本当に順調に進んでいたら、果たしてどうなっていたのだろうね?
ちなみに彼らの取材でニューヨークを訪れる前日は、ミルウォーキーでUGLY KID JOEを初取材していた。彼らも当時は「次代のスター候補」と目されていたわけだけども、ほどなく2人のギタリストのうち「こいつはルックスもいいし日本の血も引いているそうだし、人気者になるんじゃないの?」とみられていたロジャー・ラーが脱退。物事が期待や予想通りにはなかなか進んでくれるものではないことを実感させられていた、1992年の春だった。
BURRN!誌1992年5月号。GUNS N' ROSESの来日特集、『REVENGE』完成直後のKISS、『FEAR OF THE DARK』完成時のIRON MAIDENの現地取材記事まで掲載されているのに、表紙はJERUSALEM SLIM。どれほど期待度が高かったがうかがえようというものだ。
増田勇一のmassive music life
いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。
0コメント