7月4日、今日も雨。ZIGGYの名曲のひとつに“6月はRAINY BLUES”というのがあるけども、梅雨は7月に入ってからのほうが長かったりすることもあるよね。
そんなことを考えていてふと思い出したのが、そういえばあれも7月のことだったよな、ということ。そう、彼らのインディーズEP「それゆけ!R&R BAND」が世に出た時の話だ。調べてみたら1987年7月10日発売だった。つまり来週で発売から満34年になるということ。来年あたり、35周年記念で何かやってくんないかなあ、などと無責任に言ってみたくなる。(誰か企画して!)
この作品のリリースから34年経つということは、彼らとの付き合いもそれと同じくらいの長さになるということ。当時、僕は創刊から3年弱を迎えていたBURRN!誌の編集部にいて、ちょうどこの時期くらいから国内バンドの記事を担当するようになっていたのだった。そして1987年6月号と7月号、2号連続で「今後が期待される日本の若手バンド特集」みたいな記事を作っているのだが、ZIGGYはその6月号の誌面に掲載されている。6月号ということは5月発売だから、その年の3月下旬くらいには彼らを取材していたということになるだろう。
ZIGGYとの出会いは当時の『ロッキンf』に載っていた彼らの広告写真があまりにカッコ良くて、そこに掲載されていた事務所にコンタクトをとってみたのが切っ掛けだった。数日後に当時のマネージャーがデモ音源を届けに来てくださり、やけに話が盛り上がり、とんとん拍子で取材が決まったのだった。
取材当日のこともよく憶えている。彼らの所属事務所で会うことになったのだが、所在地もよくわからないまま最寄り駅で下車したところ、目の前の歩道の少し先を時代錯誤も甚だしい外見のロック兄さん4人組が歩いていたので「これは間違いない!」と思って後を付けてみたところ、無事、目的地に到着したのだった。取材とはいえ掲載サイズは1/2ページのコラムだったので、記事中にあまり発言は反映されていないのだが、よく憶えているのは戸城憲夫が非常に人懐こいというか馴れ馴れしい感じ(笑)だったこと。「こうして取材してもらえてるってことは、俺たち、MÖTLEY CRÜEとかと一緒に載せてもらえるってこと? いいねえ!」と言われたのを今もはっきりと記憶している。結果的にその号にはMÖTLEY CRÜEの記事はなく、表紙はRATTのウォーレン・デ・マルティーニだったんだけどもね。
そして本日は、昨年の同時期から順延となっていた戸城先輩の還暦記念ライヴの第二夜を観に行く予定。結果的には彼にとって還暦最後の日のライヴとなるわけだが、彼よりも7ヵ月ほど遅れて60代に突入した者として、相変わらず『Rock′n'Roll to the MAX』なその生きざまを目撃してこようと思う。
増田勇一のmassive music life
いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。
0コメント