清春の美学が貫かれた『夜、カルメンの詩集』が世に問うこと。

いよいよ明日、2月28日に、清春のニュー・アルバム『夜、カルメンの詩集』がリリースされる。本日は俗にいうところのフラゲ日。ということはつまり、ようやくこの作品について具体的なことを書いても差し支えないというか、先入観なくこのアルバムと向き合いたいという人たちを邪魔せずにあれこれ書いても問題のない日になったということだろう。

シンプルに言うならば、このアルバムには清春という人物の美学が詰まっている。もちろんこれまでの作品についてもそれは同じであるはずだが、これほどまでに隅々までそれが色濃く反映され、同時にある種の覚悟めいたものを感じさせる作品というのは、過去にはなかったのではないかという気がする。ここにはまさしく「美学」と題された曲も収録されているが、そこに綴られている歌詞、いや、詩からも、長く貫き続けてきたものを持つ者だからこその悟りと決意が感じられる。同じ志を持つ、世の主流になり得ない者たちへの呼び掛けも聴こえてくる。

音楽業界の不振が当たり前のように語られるようになってから、すでに久しい。誰もが簡単に「今、CDって売れないから」などと口にする。「そういう時代じゃないんだよ」と。確かにそれは、否定したくてもできない現実なのかもしれない。が、美学というのはそうしたものによって捻じ曲げられるべきものではないはずだ。もちろんCDなどに限らず作品はひとつでも多く売れたほうがいいが、貫くべきものを捨ててまで世間の平均的な要求に応えようとすることに、果たして意味や価値があるのだろうか? そこで〈軽い支持〉を獲得することは可能かもしれないが、代わりにその人の存在理由もまた軽いものになってしまうのではないか。

清春はおそらく、彼自身の発するメッセージが世の多数派にあたる人たちの心に響き、共鳴を呼ぶものだとは考えていない。ただ、そこで彼は、すぐに消えてしまう瞬間的な共鳴を広く求めようとして生活音のように日常に溶け込む音楽を作るのではなく、あくまで徹底的に自己の美学の追求と体現をすることを選んだ。いつものように。そして結果、彼の音楽を愛する人たちにとっての永遠の心の拠り所になり得るようなものを紡ぎあげることに成功したのだと思う。

しかし誤解して欲しくないのは、この作品が偏狭な意味での〈わかる人にだけわかればいい〉というものではない、ということ。この『夜、カルメンの詩集』には、清春の過去や現在を知らない人たち、彼の音楽をろくに聴いたことがない人たち、もっと言うならネガティヴな先入観を抱いている人たちさえも唸らせることになるはずの音楽的クオリティが伴っている。もちろん、なかには彼の声が生理的に苦手とか、そういった人たちもいないわけではないのだろう。が、そんな人たちでさえ実際に聴けば認めざるを得なくなるはずの何かがこの作品にはある、と僕は断言したい。

この『夜、カルメンの詩集』について書きたいことはまだまだ山ほどある。たとえばこれが、バンドにも単なる歌手にも作り得ないアルバムだということ、音源である以前に詩集であるということ、などなど。そうしたことについては、またいつか改めて書きたいと思うが、まずは何よりも、一人でも多くの人にこのアルバムに触れてみて欲しい。ライヴ会場に足を運んで、彼の現在と向き合ってみて欲しい。そして明日、このアルバムと同時に発売を迎える僕自身の作品も手に取ってみて欲しい。

清春『夜、カルメンの詩集』 2月28日発売

https://kiyoharu.tokyo/

『MASSIVE Vol.29』2月28日発売

https://www.shinko-music.co.jp/item/pid1645766/

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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。