MANIC STREET PREACHERSが、今回もとにかく素敵で。

MANIC STREET PREACHERSのニュー・アルバム『RESISTANCE IS FUTILE』があまりにも素晴らしくて、毎日繰り返し聴いてはそのたびに泣きそうになっている。泣ける曲、泣ける歌、泣けるアレンジ、というのもあるけども、なんだかこのバンド自体が僕にとっては〈泣ける〉存在なのだ。

今やイギリスの国民的バンドのひとつ、といった認識を広く獲得している彼らだが、1992年のデビュー当時は〈こいつらは時代錯誤の天然バンドか? それとも仕掛けられたハイプなのか?〉といった目で見られていたように思う。「世界中でNo.1になるアルバムを1枚だけ作って解散する」といった発言や、自分たちの本気度を示すためにたまたま足元に落ちていた剃刀を拾い上げて自分の腕に〈4 REAL〉という文字を刻んだ、などといったどこか漫画的な逸話の豊富さゆえに、彼らをまがいもの扱いする人は少なくなかった。だけどもデビュー作の『GENERATION TERRORISTS』にぞっこんだった僕は、そうした彼らのデフォルメされた言動の真意を引き出したくて、初来日時にはインタビューもして、BURRN!でも2ページの記事を作った。

取材に応じてくれたのはジェイムズ・ディーン・ブラッドフィールドとリッチー・エドワーズだった。実際に向き合ってみた彼らはふたりともパブリックイメージに反して、地方都市に生まれ育った可愛らしい青年といった印象だった。僕が「例の〈アルバム1枚で解散する宣言〉にしても、要するにジジイになってまでバンドを続けていきたくはないということでしょ?」と尋ねた際には、リッチーは次のように答えていた。

「昔の僕らは単なる地方のロック・ファンだった。そして、さまざまなバンドが才能を枯れ果てさせてまでウンザリするほど長く活動を続けている例をいくつも見てきたんだ。そういうことは、自分たちとしてはしたくない。いい曲もできなくなり、カッコ悪くなり……それでもずるずる続けていくなんて、僕には理解できないことなんだ。もちろん、いい曲を提供し続けられるのならいいよ。僕らもそれが可能な間は活動を続けていくと思う」

そしてこのバンドは、それから四半世紀以上を経た今もコンスタントにいい曲を世に提示しながら歩み続けている。残念ながらこの発言の主であるリッチーは、遠い過去に姿を消したまま不在ではあるが、果たして彼の目に現在のMANICSはどんなふうに映るのだろう? 僕のなかではあの頃も今現在も、彼らは〈いい曲をたくさん持ったバンド〉であり、〈いい曲〉がアルバム発表を重ねるたびに増えていくという理想を現実にしている稀有な人たちである。

1992年の僕が彼らの記事を作ったのは、HMファンに彼らを色眼鏡で見て欲しくなかったからでもあるし、ハイプを追う人たちよりも自分みたいな音楽趣味の人たちのほうが温度差なく彼らに共鳴できるのではないかと思ったからでもあった。しかし今は、そうした動機で彼らについて書く必要など少しもない。素晴らしいアルバムだから聴いて欲しい。それだけで充分なのだ。


『RESISTANCE IS FUTILE』MANIC STREET PREACHERS(2018)

詳しい情報はこちらを⇒ http://www.sonymusic.co.jp/artist/ManicStreetPreachers/

初来日時の記事。BURRN!誌1992年7月号より。


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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。