さて、今回は13年前の今日のことを書きたいと思う。2005年5月28日のことだ。その日、僕はドイツのベルリンにいた。DIR EN GREYの初の欧州ツアーに同行するためだった。たくさんのツアー・クルーやマネージメント関係者とともに大型サイズのバス(ベッドがたくさん設えられたものではなく、むしろ観光バスのような感じ)に乗り込んでのツアーは、どこかプロレス団体の巡業のようでもあったが、一行のなかに自分以外にはいわゆるライターはおらず、僕は同ツアーについてのニュース原稿やら何やらをすべて現地で書くことになった。考えてみたら、ノートパソコンを使うようになったのもこの時のことだったように思う。それまでは原稿といえばワープロで打ったものをフロッピーディスクで渡すのが常だった。
偶然にも僕は、その数ヵ月前にもベルリンを訪れていた。VELVET REVOLVERを観るためだ。しかもDIR EN GREYの公演会場はそのときと同じColumbiahalle。だから事務所の担当者から情報をもらった時にも「あ、そこなら行ったことがある!」とすぐさま反応してしまったし、実際、現地でもまずは公演前日に何人かのスタッフを引き連れて地下鉄で会場に向かったのだった。すると、そこにはすでに前日からそこで徹夜しているというファンが行列をなしていた。
ここで、その13年前のベルリン滞在中に書いたニュース配信用原稿をそのまま掲載しようと思う。今の僕が当時を思い出しながら書くよりもきっと正確だろう。表記などをいくつか修正している以外は(それこそ当時はDir en greyという表記だったしね)すべて当時の記述のままである。
5月28日、ベルリン、ColumbiahalleにおけるDIR EN GREYのアジア圏を除く国外での初ワンマン・ライヴは、ソールドアウトの大盛況となったのみならず、現地の音楽シーンの常識を覆す画期的な事件となった。
Columbiahalleは、いわゆるアリーナ、スタジアムを除けばベルリンでも最大級のライヴ会場。最近ではOASIS、NINE INCH NAILS、AUDIOSLAVEなど欧米の超大物たちのライヴもブッキングされている。が、現地の関係者によれば公演当日を迎える前に完全なソールドアウト状態になることはほぼ皆無に等しいとのことで、DIR EN GREYが事前にチケットを売りつくしていた事実はそれだけでも快挙だったといえる。
しかも会場に詰め掛けたのは地元ドイツのファンばかりではない。公演2日前から最前列確保のために徹夜をしていた群衆のなかにはフランス、オランダといったヨーロッパ圏のみならず、ブラジルからこのライヴのためだけにやってきたというファンの姿もあった。DIR EN GREYの作品を現地販売しているこの公演のプロモーター、NEO TOKYOの関係者によれば、他にもスカンジナヴィア諸国やチェコ、イギリス、オーストリア、スイス、スペイン、アメリカからのファンの来場が確認されており、オンラインでのチケット予約にはアフリカ方面からの申し込みもあったという。
当日の動員は3,200人。そこに現地のメディア関係者など招待者を加え、3,300人ほどを飲み込んだ場内は、開演前から蒸し風呂状態。公演そのものの盛り上がりについては言うまでもないが、それゆえに途中、進行中断を余儀なくされる状況に追い込まれる場面もあった。実際、救護所もまた常に満員で、当地が前日から異例の酷暑に見舞われていたこともあり、開演前から倒れるファンも目立ち、会場の楽屋口には常に複数の救急車が待機しているという緊張状態のなかでの公演でもあった。が、それでも多くのファンは最愛のバンドとの遭遇を心から楽しみ、多くの楽曲を日本語で合唱し、笑顔で帰路についていた。
ちなみに、当日の救護関係の責任者であるベルリン消防局のトップは、「この仕事に30年たずさわってきたが、こんな光景はいまだかつて見たことがない」と語り、地元ラジオ局の有力DJは「ライヴを実際に観て、こりゃいける、と思った。もっとこのバンドをガンガンかけなきゃってね」と興奮気味に語った。さらには「何故うちの会社がこのバンドと契約してないんだ!」と嘆く現地レコード会社関係者の姿もあったという。
翌日以降、現地メディアはこぞって彼らとこの「事件」について取り上げるようになり、メディアの表現の自由を強く訴えるこの国ならではの偏った露出が特徴の有力スポーツ紙では、公演自体について以上に「失神者続出」という事件性が大きく取り上げられ、同様にTVでもこうした報道がみられた。が、逆にドイツの3大紙のひとつでは一面でこのライヴについて取り上げられ、同じ紙面上で取り上げられている他のバンドのライヴ評(Columbiahalleに隣接する、やや小規模なColumbiaclubで行なわれていたGO BETWEENSの公演に関するもの)では、DIR EN GREYの露出枠以上のスペースを使いながらも、文中で「私は居るべき場所を間違えた。隣りの会場で起こっている重大なことを見過ごすべきではなかった」といった記述がなされていた。
ここから何かが始まる。その場にいた誰もがそう実感していたに違いない。(2005年5月29日)
このライヴの翌日は現地メディア向けの取材日。その場にはドイツ語の通訳(しかもドイツ人男性と日本人女性の2人組)が呼ばれていたが、一本目の取材時、彼らの日本語の理解度が怪しいうえに正しくドイツ語に訳されているのか否かがバンドやスタッフにも疑わしく思われたため、二本目の取材からは僕が英語で通訳することになった。そして彼らは数日後、欧州最大規模のフェスである『ROCK AM RING』に出演し、海外フェスの手厳しい洗礼を受けることになったのだった。……というわけで、この先はまた何か機会があれば。
スペインからやってきたというファン。ライヴの2日前から会場前に並んでいた。
ベルギーから観に来ていたファン。日本語の手紙が泣かせる。
ある夜の食事。これで4人前ぐらい。美味しいけどさすがに毎晩は……。
増田勇一のmassive music life
いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。
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