1999年5月の記憶。瓦礫の山という宮殿。

 これまで3回にわたり海外での〈5月下旬の記憶〉について書いてきたが、やはりこの時期になると思い出さずにいられないのは、1999年5月30日に開催された『CAPACITY∞』のことだ。1989年5月29日に東京・町田PLAYHOUSE でライヴ・バンドとして始動したLUNA SEAが、その10周年を記念して行なった10万人規模の野外ライヴ。ところがその歴史的瞬間到来を目前に控えた5月27日、東京地方は国内観測史上最大級(当時)という強烈な突風に襲われ、ほぼ完成に近付いていた巨大ステージセットが完全に倒壊。誰の目にも公演自体が99%実現不可能という状況下でバンドは予定通りの実施を決意し、伝説的ともいうべき素晴らしいステージを披露したのだった。

 僕がLUNA SEAと深い関りを持つようになったのもちょうどこの時だった。この『CAPACITY∞』を軸とするオフィシャル・ドキュメンタリー・ブックの制作に携わることになったのだ。もちろんこの本にとってのメインは公演当日の写真だが、僕は5月18日から公演当日までの日々をLUNA SEAを追いかけながら過ごし、その毎日を原稿に綴った。ドキュメンタリーはその18日の深夜(正確に言えば19日の午前)、5人がニッポン放送のスタジオで生放送に臨むところから始まっている。

 本棚からこの本を引っ張り出して確認してみたところ、19年前の本日、5月29日の僕は、渋谷のTOWER RECORDSに出掛け、この日に発売された2枚組ライヴ・アルバム『NEVER SOLD OUT』を購入。そして同作を買うために来店したファンに話を聞く、という取材をしている。午後には、ゆりかもめに揺られて(あまり揺れないけど)国際展示場へ。それまでにも何度か設営状況などの取材のために訪れていた『CAPACITY∞』の特設会場のまわりには、「来たことのない場所だから下見に来た」「ステージの復旧が間に合うのかどうか不安で、気が気じゃなくて来てしまった」というファンの姿もたくさんあった。

 公演当日、メンバーたちを乗せてこの場に舞い降りることになるヘリコプターの着陸予行演習も行なわれていた。あれがぶっつけ本番じゃなくて本当に良かった。というのも着陸時、砂ぼこりがものすごいことになっていたのだ。「これは水を撒いとかないと駄目だな」という声がスタッフの輪のなかから聞こえてきたのを憶えている。

 そして29日の夕刻、愛車に乗って現れたSUGIZOは「10年前の今頃は、PLAYHOUSEの楽屋でメイクしてたな」とつぶやいていた。この公演が、本当の10周年記念日である5月29日に行なわれていたなら、おそらくステージの復旧作業は間に合っていなかったはずだ。僕はそのことについてこの本のなかで、次のように書いている。〈運命は彼らを弄び、試練を与えつつ、首の皮一枚の可能性を残したのだ〉と。

 それからさらに19年を経た今夜、今年も僕は日本武道館でLUNA SEAを観ることになる。このバンドとその音楽に出会えたことに、改めて感謝したい。そして『NEVER SOLD OUT』というライヴ・アルバムのタイトルについては今も、〈絶対に売り切れにならない〉のではなく、決してセルアウトしなかった、すなわち〈魂を売り渡さなかった〉という意味なのだと勝手に解釈している。

この本は『1999 LUNA SEA  -THE UNCONVENTIONAL-』として同年9月に発売。公演後の各メンバーのパーソナル・インタビューなども掲載されている。ちなみにタイトルはJAPANの曲名から僕が思いついたもの。それに即座に反応し「いいタイトルですね!」と言ってくれたのはSUGIZOだった。

『THE UNCONVENTIONAL』の中ページより。嵐の前、そしてその後。

こちらも誌面より。19年前の渋谷駅と、山手線の車中。

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増田勇一のmassive music life

いつのまにか還暦を過ぎてしまった音楽系モノカキの、 あまりにも音楽的だったり、案外そうでもなかったりする 日々。