2019年のティム・クリステンセン

昨夜のDIZZY MIZZ LIZZYのライヴがあまりにも素晴らしかったので、イキオイで2019年4月、ティム・クリステンセンがソロで来日した際のインタビューをこの場で後悔してしまおう。オリジナルの記事は同年発売された『MASSIVE Vol.34』に掲載されているので、全編を読みたい方はぜひバックナンバーを探してみて欲しい。ちなみに同年の来日時に彼が受けたインタビューはこの1本のみ。文中で語られている「もうすぐ着手するはずのニュー・アルバム」というのは当然ながら『ALTER ECHO』のことである。

――さっそく質問を始めさせてください。しかしその前に、昨夜は素晴らしいショウをありがとうございました。

ティム・クリステンセン(以下T):こちらこそ、観に来てくれてありがとう。

――とてもビューティフルな夜になりましたね。あなた自身は充分に楽しめましたか?

T:とても楽しかったよ。なにしろ日本のためにアコースティックのソロ・ショウをやるのは初めてのことだったから、なおさら楽しみにしていたんだ。デンマークでは何本も過去にやってきたけども、これは僕自身にとってはいまだに新しいことだしね。いつも……自分のなかで驚きが伴うというわけではないんだけど、とても上手くいっている。あんなふうに曲間でいろいろ喋るなんて新鮮なことだし、ああいうことはこれまでしたことがなかったからね。曲をやるたびに話をするなんて珍しいことだし、僕にとってはオーディエンスとの新しいコミュニケーションの取り方だといえる。

僕はもちろん、バンド編成を伴った形でラウドにロックを演奏するのが好きだけども、同時にこうしたスタイルには特別さがあるし、この形でのショウを日本に持ってこられたこと、そして、こういったライヴでもみんなが観に来てくれたということに、すごく満足感をおぼえているんだ。オーディエンスがとても深い思い入れを持ってくれている人たちばかりだということ、みんなとても音楽に集中して聴いてくれたということが、とても嬉しかったし、ステージ上の僕をとてもいい気分にさせてくれたよ。

だからできるだけ、すべての持ち曲のなかからあれもこれもやりたいという気持ちだった。昨夜は曲のリストは用意したけども、いわばオープン・セットリストという感じにしておいて、ステージ上で演奏しながら次に何をやるか、自分で決めるという形をとったんだ。そんななかで、新曲も披露できた。これまでに一度もプレイしたことのない曲をね」

――えーっと、それは“Silver Lining”という曲のことですよね?

T:そうだよ。とてもレアなことだよ。DIZZY MIZZ LIZZYの初期の頃、それこそ最初のジャパン・ツアーをやった頃には、真新しい曲を2曲ほど次の作品の予告みたいな感じで披露したことがあったけど、レコーディングすらまだしていない本当のニュー・ソングをライヴで演奏したのは、あの当時以来ということになると思う。それもまた僕にとってはある意味、新しい試みだったわけなんだ。

――とはいえ、そこで神経質になる理由はなかったはずですよね? なにしろ誰も聴いたことがない曲であるわけで。

T:ふふっ。その通りだね。その場で自分が思いつくがままに変えてしまうことも可能だったわけだし。あと、『SUPERIOR』から“Maggie My Dear”という曲をやったけども、あれも実は一度もライヴで演奏したことのない曲だったんだ。特に理由があったわけではないんだけど、サウンドチェックの時に演奏してみたらいい感じだったんで、本番でもやってみることにしたんだ。それから、客席から誰かが“King’s Garden”のタイトルを叫ぶ声が聞こえてね。あの曲をやるつもりはなかったんだけど、その声を耳にしたことで、やってみようと思えたんだ。予定外の選択だったよ。結果、いいライヴになったんじゃないかな。今朝、目を覚ました時に昨夜のライヴは良かったという記憶だけが残っていたから、めでたしめでたしというところだね(笑)。

――ライヴ後のお酒は美味しくいただけた、ということですね?

T:何杯か軽くいただいたよ。マネージャーやテックと、内輪で〈よし、よくやった!〉と祝う感じでね(笑)。

――日本のファンはラウドなショウの時にはクレイジーになるけども、音楽をじっくり聴くべき時には本当に静かに聴き入る。あなたはどちらの反応も気に入っているわけですね?

T:間違いない。それこそ『LOUD PARK』のような機会と昨夜のようなライヴというのは、両極端に異なるものだといえるよね。『LOUD PARK』の場合は、その名が示す通り本当にラウドだ。昨夜みたいなケースは、音量的には確かに小さいはずなんだけども、別の意味でラウドというふうにも思うんだ。違う種類の激しさがあると言ったらいいのかな。オーディエンスが、すべての感情表現を受け入れてくれようとする状態にあるというか。ラウドなショウの場合というのも当然エモーショナルだよ。メランコリックで綺麗なものをやろうとする時と比べると、より強いエナジーが伴っているという意味でね。僕にはその双方が楽しめているし、どちらの面もオーディエンスに求められている。そんな特権みたいなものを感じさせられるよ。

――これは単なる憶測でもありますが、あなたの楽曲のなかで、そもそもアコースティックで書かれた者の割合というのはかなり高いはずだと思えるんです。今回のような機会は、そうした曲たちがそもそもどういう形で生まれていたのかを知ることができる、という意味でも貴重だったように思います。

T:その通りだ。昨日、君たちが聴いた楽曲の大半は、まさしくオリジナルな形、そもそもはこういう曲として作られた、という形になっていたよ。DIZZY MIZZ LIZZYの古い曲、たとえば“Love Is A Loser’s Game”とかについても、細かいところはよく憶えていないけど、作った当初はまさしく昨夜プレイしたような状態にあったはずだ。それが結果的にロック・ソングになっていくわけだよ、みんなにもお馴染みの2人とプレイすることでね(笑)。だけどいちばん最初の段階で僕自身の頭のなかに描かれている楽曲の像は、昨夜のような姿をしていることが多いと言っていい。そう、だから僕が多くの曲を、アコースティック・ギターを使って書いてきたというのは紛れもない事実だよ。

――昨夜もうひとつ気付かされたのは、音楽を美味しく味わうためには、その音楽にとって相応しい音量で聴くこともとても重要だ、ということなんです。

T:間違いないね。

――僕は大音量のライヴ、場合によってはヴォリュームが10段階の11まで上げられたような環境で激しい音楽を楽しむことも好きですけど(笑)、繊細な音楽を味わおうとする時には音の大きさよりも細心さが求められることになる。

T:まさしく同じように僕も考えているよ。僕が普段、好んで聴いている音楽の幅はとても広いんだ。エクストリームすぎるくらいのメタルから、最上級にソフトでデリケートに作られたシンガーソング・ライターたちの音楽に至るまでね。まあ、もちろんその時のムードにもよるんだけども……。実はここのところ、日本のMONOというバンドに結構夢中でね。インストゥルメンタル・ミュージックをやるバンドなんだけど、そうした両極端の要素があって、ものすごくビューティフルで、同時に、いわばエクストリームにメロディックでもある。で、そこにヴォーカルはない。カオティックなノイズが延々と続いたりもするんだけど、それでも依然として美しいんだ。今の僕は、あのバンドが大のお気に入りだ。

――シューゲーザーとオーケストラの合体、みたいな感じですよね。昨夜のライヴを通じて改めて気付かされたことがもうひとつあって、それは、ロック・バンドにはエレクトリック・ギターのように歌うヴォーカリストが多いのに対して、あなたの場合は、演奏がラウドな場合でもむしろアコースティック・ギターのように歌っている、ということなんです。

T:あはは! それはなかなかナイスな比喩だと思う。どういう意味かはわかっているつもりだよ。実は今現在、ちょうどDIZZY MIZZ LIZZYの新しいマテリアルを作っているところなんだけども、例によってあまりメタル的じゃない曲もあるのと同時に、これまでやってこなかったような曲のアイデアというのがいくつかあってね。すごくブルータルな感じのやつなんだ。ほとんど80年代のクラシックなスラッシュ・メタルに近いようなやつだよ。まだ曲と呼べる状態ではなくて、あくまでアイデアという段階だけども。とはいえ曲がそういうタイプのモノであっても、僕はグロウルできるわけじゃないし(笑)、そこで自分にできるのは〈歌う〉という次元のことでしかない。それはいわば、アコースティック・ギターみたいに歌う、ということになるんじゃないかな。

そういった音楽にフィットする歌い方に挑むのは、僕にとってはとても難しいことでね。正直、そういった2つの異なった要素をうまく合体できるかどうかはまだわからないけど、少なくともそうやって実験を重ねるのは楽しいものだよ。現時点での新曲たちは、これまでよりも若干ダークな感じで、もうちょっとスピードが遅めで、もちろんエナジーもそこには存分にあって、よりヘヴィな感じ、といった方向にあるものが多いかな。

 僕が最近よく聴いているのは……MONOもそのうちのひとつだけど、メタルで好きなのはドゥーム、スラッシュ、ストーナー、ドローン系ということになるかな。催眠術にかかりそうな音楽というか(笑)。というのも、ラジオから聴こえてくるいまどきのポップ・ミュージックというのが、どれもこれも同じに聴こえるからなんだ。僕はポップ・ミュージックの大ファンだというのにね。ヴァース、コーラス、ヴァース、コーラス、ブリッジ、コーラス……(笑)。そんな感じの曲ばかりが溢れている。変化があるとすれば、最後にコーラスが速くなって終わるぐらいもの。それで2分半を終えてしまうんだ。それこそMONOの音楽を聴いていると〈この感じがこのまま永遠に続くのか?〉〈果たしてここから先、どこに行こうとしてるんだ?〉という興奮がある。まったくコマーシャルな音楽とは言えないし、ラジオでかかりそうなものではないけども、今現在の僕はそういう音楽に惹かれていたりするんだ。

――ある意味、そういった音楽にも計算ずくで作られているところがあると思うんですが、同時にそこに、スポンテニアスさが反映できる余地があるというか。

T:その通り。そういうところが好きなんだ。そういう具合に、その瞬間の気持ちを反映できる領域が保たれているべきだと思う。脳内と実際の表現との間には、隔たりがあるんだ。頭のなかでだけ考えて、計算のみで作られた音楽と、ハートと直結した音楽というのは、異なったものだと思う。どちらにも好きなものはあるよ。だけど、脳だけで作られたものには興味が向かわないな。

――ただ、どちらにも好きなものがあるからこそ、そこであなたなりのバランスというものを見つけることができるんだと思います。

T:そうだね。そういうものだと思う。

――だからこそ、他にはないオリジナルなものが生まれ得る。

T:うん。そう願いたいところだね。

――さて、さきほども話に出た新曲、“Silver Lining”についてなんですが、昨夜のステージ上では、DIZZY MIZZ LIZZYで使うかソロ用の曲になるかもまだ定かではない、という話でしたよね?

T:うん、昨夜の時点ではそう言ったね(笑)。ただ、近いうちにバンドのほうでレコーディングしてみるのは確かなんだ。実際に3人で録ってみて、DIZZY MIZZ LIZZYの曲に聴こえるもの、バンドでやることが有効なものだと判断できれば、そのままバンドでやることになるだろう。というか、きっとそういうことになるよ。何故なら、マーティン(・ニールセン)もソレン(・フリス)もすでにあの曲を知っていて、2人とも気に入ってくれているからね(笑)。現状ではディストーションのかかっていないギターでプレイしていて、アコースティック・アレンジにすることは多分ないだろうけど、クリーンなサウンドでやるだろうと思う。8分の7拍子なんだけど、スーパー・メロディックな曲なんだ。万が一、バンドでやってみてしっくりこなかった場合には、間違いなくソロ・アーティストとして録音するよ。そうやって両方の選択肢を試してみることが僕にはできる。だけど最初の選択権はバンドに与えるよ(笑)。

――どちらにしても、DIZZY MIZZ LIZZYとしてごく近いうちにスタジオ入りすることは確定的なんですね?

T:うん。もうすぐだよ。まだ曲がすべて揃っているわけではないし、依然としてその準備中という段階にはあるんだけど、5月の中旬には、『FORWARD IN REVERSE』を録った時と同じスタジオに3人で入ることになっている。そこでまず、最初の2曲を録る。そうしたら、すぐにリリースしようと思っているんだ。というのも、次のアルバムを録り終えるまでにはもう少し時間がかかりそうだし、しばらく何も出さずに来ただけに、そろそろ新しい何かを聴いてもらうべきじゃないかと思うからね。ただ、フィジカルなシングルになるとは思っていない。ストリーミング配信になるかな。とはいえ、これは僕個人がそう思っているだけのことで、日本のソニーの担当者は違うプランを持ち掛けてくるかもしれないけど(笑)。

――それこそ今なら、アナログ盤シングルとかも面白いかもしれないですしね。

T:それもあるよね。7インチ・シングルというのも悪くない。どうなるかわからないけど、日本側からはいつもいいアイデアが出てくるんだ。

――でも、アルバムがすぐに出るというわけではないにせよ、新曲が発表されるのは大歓迎だし、今年は何かをリリースすべきですよね。なにしろデビュー・アルバムの発売25周年という記念すべき年なんですから!

T:わかってる、わかってるんだ(笑)。クレイジーなことだよ。

――クレイジー?

T:さっき、君が以前やっていた雑誌(『MUSIC LIFE』を指す)に載った昔の写真を見せてくれただろ? あれには驚いた。もう25年も前のことになるのか、と感じさせられた。歳をとるわけだよなあって(笑)。だけど同時に、たいして昔のことのようにも思えないところがあるんだ。もちろん歳を取ったのは間違いないけど(笑)、両方の想いがあるよ。昨年はデンマークで何本かのフェスティヴァル出演があったんだけど、演奏中、曲間に喋っている時に思い出したことがあってね。おそらく去年、バンドは結成30周年を迎えているんだ。そこで〈これはちゃんとマイクを通して言うべきかな?〉と自問したんだけど、その時は言うのをやめておいた。そんなことを言うと、実際よりも古めかしい音楽に聴こえてしまうことになるんじゃないか、と思ったからだよ(笑)。

――はははは!

T:でも、それを思い出した瞬間、悟ったんだ。老けるのも無理はないってね(笑)。だけど僕らとしては、これからも若い音楽ファンにアプローチしていきたい。もちろん古くからのファンに対してはリスペクトを抱いているけどね。だけどこうして活動を続けていくなかで、新しい世代に手を差し出すことができるのは素晴らしいことだと思うんだ。

――ええ。確かにそこで30年もの歴史があるバンドなのだと伝えられてしまうと、若いリスナーはちょっと構えてしまうかもしれませんね。

T:そうそう、そういうことなんだよ。昨夜も終演後にちょっとしたサイン会があったんだけども、その行列のなかに14歳のファンがいてね。40歳じゃなくて、だよ(笑)。とても嬉しく思った。若い世代が僕らの音楽を掘り起こしてくれている、ということをね。僕としてもとても誇らしいことに思えたよ。

――素晴らしいことですよね。えーっと、大事なことなので念のため確認ですけど、とにかくあなた方は近いうちにスタジオに入り、そこで録った新曲をできるだけ早い時期に届けてくれる、というところまでは間違いないですか?

T:うん。ニュー・アルバムが出るのは、どんなに早くても来年の前半ということになると思う。それが現時点でのプランなんだ。現状、2回のレコーディング・セッションが決まっていて、まずはさっきも言ったように5月中旬のうちに2曲録る。もちろん作業が順調に上手く捗ったなら、3曲目、4曲目にトライする可能性もある。その後、6月にもスタジオを押さえてあるんだ。それからデンマークでのフェス出演、ちょっとしたドイツ・ツアーなんかがあって、それが終わったら、またスタジオに入る予定だ。おそらく9月になるかな。そこでの作業を経た時点で、次のアルバムのためのマテリアルが出揃うことになる。そこできちんとすべて終われば、来年の早いうちにはリリースできるはずだし、それに向けて準備を整えていく。それが現状の計画なんだ。

――そうやって幾度かにレコーディング・セッションを分けることで、その合間に曲を俯瞰してみたり、ライヴなどで得たインスピレーションがその次のセッションに反映できたりもするわけですね。

T:そうだね。ただ、ライヴで新曲を試す機会があるかどうかはわからないけども。結構な本数が組まれているんで、それにトライする時間的余裕があるかどうかわからない。だけど、とにかく5月のうちに最低でも2曲録って、様子を見ながら進めていくことになるよ。

――アルバム完成までに必要と思われる時間はちゃんと費やしたい、ということですね。そうした作業の傍ら、ソロ・ワークのほうも並行していく予定はないんでしょうか?

T:今のところの基本的計画としては、まず来年の前半にDIZZY MIZZ LIZZYのアルバムを発表して、それに伴うツアーをする。日本でも、デンマークでもね。他のヨーロッパの国々もある程度は巡演することになると思う。で、そうやってツアーを終えてアルバムに伴う活動がすべて終わってから、僕はしばらくソロでの作業に戻ると思う。というのも、すでに録りたい曲がたくさんあるからなんだ。久しくソロ制作をしていないから、ちょっとそれを恋しく思っているところもあるしね。

バンドが不在だった再結成前の12~13年ほどの間、ファンと話をしていると常に言われたものだよ。〈また3人で一緒にやることはないの?〉〈再結成の予定はいつですか?〉ってね。そうした言葉を聞くたび、正直に言うけど、いつも〈黙れ! 僕はソロとしてのキャリアを始めたばかりなんだぞ!〉と言いたくなった(笑)。その後、おかげさまでソロ活動も軌道に乗り、成功に至った。そしてバンドがリユニオンを果たすと、みんな大歓迎してくれた。だけどもそれからしばらく経つと、こんどは〈ソロ・アルバムはいつ出してくれるの?〉という声が聞こえてくるようになった(笑)。

――ないものねだり。常にそういうことになるんですよね。悪いことでは全然ないんですけど。

T:もちろんそれはわかってる。そういう言葉については賛辞だと捉えるようにしているよ。だけど当事者としては〈今はこっちをやってるんだけど〉と言いたくなることもあるさ(笑)。

――お察しします(笑)。たとえばバンドとしての動きが緩やかな時に、昨夜のようにあなたが個人として実験的なことをする機会を得られることにも意味があるはずだと思います。

T:うん。ああいうことができるのはとても価値のあることだ。実はちょうどドイツ・ツアーに向けてのバンド・リハーサルも始めているところなんだけど、そんなさなか、そこからちょっとだけ離れて昨夜みたいなアコースティック・ショウをやれたりするのは僕にとってナイスなことだし、違ったヴァリエーションを楽しむこともできる。自分としては、両方やりたいからね。それに、僕にはソロ活動の場で得られた刺激を、エナジーとしてバンドに持ち帰ることができると思うんだ。しかも一方だけの活動に専念することによって、過剰に消耗してしまうことがない。

――新鮮な気持ちでいられるはずですよね。先ほど言っていたようにソロ公演ではバンドの場合とは違ったコミュニケーションのあり方を楽しめたりもするわけで。曲間でいきなり「東京都特許許可局」とか言い出したり(ティムはステージ上、あまりにもトラディショナルなこの早口言葉を披露してみせた)。

T:ははは! そうそう。ああいうことにもトライできる(笑)。それにしても、あの言葉はどういう意味なの? 会社の名前か何かだって誰かが言ってたけども。

――まあそんなもんです。機関の名称ですね。というか、誰があなたにあの言葉を教えたんです?

T:90年代に日本に来ていた頃に僕らを担当してくれていた、日本のレコード会社の女性だよ。彼女が教えてくれたんだ。トウキョウトトッキョキャキャ……駄目だ。いまだにちゃんと言えないけども(笑)。

――他にもいくつか似たような言葉があるんですけど、そのことはさておき、昨夜は他にも初めてライヴで耳にした重要な曲がありました。その曲についても訊かせてください。あなたが子供の頃に書いた初のオリジナル曲のことです。

T:ははっ!“Take My Hand Fan”のことだね。めちゃくちゃ古い曲だ。あの場で披露すべきものかどうかちょっと考えたけど、オーディエンスのうち何人かでも面白がってくれる人がいればいいな、と思ってプレイしたんだ。実は、地元では結構やってきた。というのも歌詞がデンマーク語なんで、よりウケるからね(笑)。僕がギターを手にしたのは7歳の頃のことで、当時は放課後にユースクラブによって、そこでいつも2時間ほどを過ごしていた。そこに楽器をやる目上の人たちもいてね。ユースクラブは夕方の4時とか5時には閉館してしまうんだけど、その人たちはバンドをやっていて、同じ建物の地下にリハーサルスタジオがあったんだ。そこで7~8歳当時の僕は〈この地下にギターとかドラムがあるの? 僕もやっていっちゃ駄目?〉と言い出したんだ(笑)。しかも当時、他にも同じような子たちがいたから、そこですぐさまバンドのようになった。それが8歳か9歳の頃の話だよ。で、他人の曲を演奏することに気が進まなかった僕は、4つか5つしかコードを知らないくせに自分で曲を作ってみた。“Take My Hand Fan”はそのうちの1曲だ。

――素晴らしい話じゃないですか。あの曲からは、なんていうか……80年代のメタル・アンセムに通ずる何かを感じましたよ(笑)。

T:そうかもね(笑)。あの曲を作ったのは1982年とか、1983年とか、そのあたりのことだったし。

――最初の自作曲ができた時には、やっぱり興奮したはずですよね?

T:もちろんだよ。さっき、君は80年代メタルっぽいと言ってたけど、それは当時の僕がKISSをよく聴いていた影響かもしれない。BEATLESと同様、KISSもめちゃくちゃ聴いていたからね。あとは、SWEETとか。

――それは興味深い話ですね。というのも、日本人の僕が生まれて初めて観た海外のバンドがSWEETだったんですよ。1976年の話です。

T:ホントに? いいなあ(笑)。あのバンド、大好きなんだ。とはいえ僕の場合、だいぶ後になってからの彼らの曲が好きだったんだけど。グラム・ロックだったのが、よりハード・ロック寄りになってからの彼らがね。アルバムで言うと『GIVE US A WINK』とか。もっと後の『LEVEL HEADED』とかも好きだったな。

――前者は僕も大好きなアルバムだし、シングルで大ヒットした“Love Is Like Oxygen”が入っていた後者のほうもよく聴いていましたよ。当時はだいぶ音楽性も変わっていましたけど。

T:そうそう、あの曲が入っていたよね。

――あなたよりだいぶ年上の僕は、どちらも少年期にリアルタイムで聴いていましたが(笑)、偶然にもこんな話を聞けて嬉しいです。ところでこの“Take My Hand Fan”というのは、何の歌なんです? ハンド・ファンって、まさか扇子とか携帯用扇風機のことじゃないですよね?

T:あはは! 違う違う。ハンド・ファンの歌じゃなくて、〈僕の手を取って〉と、ファンに向けて言っているんだ(笑)。自分の音楽のファンに対してね。ああ、でも、昨夜はそこについてもちょっと説明すべきだったかもしれない。みんな〈何のことを歌ってるんだ?〉と思いながら聴いていただろうしね。少なくともエア・コンディションの歌じゃないことは言っておくべきだったかな(笑)。

――今現在のあなたは、あの曲を作った当時のあなたとはだいぶ違っているわけですが(笑)、いまだに変わらないと思える部分もありますか?

T:うーん。音楽に対する愛情、情熱、動機といったものは、多少の差はあるにしても基本的には変わっていないと思うな。ギターを弾きながら歌う、という自分の役割もずっと同じままだしね。8歳当時の僕は、仲間たちと一緒にバンドでプレイするための曲を書き、それをギターを弾きながら歌っていた。今もある意味、それと同じことをやっているわけだよ。もちろん音楽はだいぶ大きく変わった。僕という人間そのものもすごく変わってきたはずだ(笑)。だけど、音楽と向き合って何かをする時、どんな時も自分の根底にあるのは音楽への愛情だったし、それはあの頃も今も変わらない。8歳どころか、音楽が大好き、という部分は2歳の頃から同じだったはずだよ。それほど音楽に夢中になったのは、自分から音楽を選んだというより、音楽の側に自分が選んでもらえたからなんじゃないかと思ったりもする。

――いわば、音楽に選ばれし者。僕自身、あなたはまさしくそういう存在なんだと思いますよ。たとえば過去に、音楽以外の何かを仕事にすることを考えたことはありましたか?

T:うーん。僕の場合、幸運にもDIZZY MIZZ LIZZYを若くして始めることができ、しかも早いうちからすごいスピードで物事が転がり始めた。だから、有難いことに、何かバンド以外の職に就くことを考えるという機会自体が僕にはなかった。音楽のために僕が決めたのは、学校を離れることだけだったよ(笑)。ただ、ビッグなロックスターになるなんて夢の夢というか、まるで現実的な話ではなかったし、当初からバンドで成功できなくても音楽を学ぶことだけは続けていこうと思っていたし……そう考えると、音楽教師にでもなっていたのかもしれない。実際、16歳から18歳にかけての頃は、音楽学校に通っていたわけでね。日中は学校に通い、夜はバンドのリハーサル、というのが当時の生活だった。

だけどバンドが本格的に始まると、後ろを振り返る暇はなくなった。あの当時、もしもバンドが上手くいっていなければ、音楽を教えることを仕事にしていたか、まったく違う仕事を選んでいたか……。うちの父はグラフィック・デザイナーだったんだけど、もしも音楽を選ばずにいたら、そっちに進んでいたかもしれないね。どちらにしても当時から僕は、クリエイティヴなことに興味を持っていたんだと思う。父の仕事ぶりを見るのも好きだったし。だからもしも自分に音楽的才能がまるでなく、まったく見込みがないという感じだったなら、そういった仕事に就くことを選んでいたんじゃないかという気がするよ。

――あなたの穏やかで理路整然とした話し方を聞いていると、何かを教えるのも上手そうな気がするし、いい先生になったんじゃなかとも思えます(笑)。でも何より、あなたがこの道を選んでくれて良かった、と思いますよ。ただ、今回のソロ公演について、ひとつだけ残念だったことがあるんです。

T:……?

――それは、たった一夜限りのショウだったこと。あの素晴らしいショウを、ごく限られた人たちにしか観てもらえないことだけが残念でした。

T:それは実際、こっちに来る飛行機のなかでも話していたことなんだ。そもそも今回のことは、中国に招かれたことが発端にあったんだ。中国に僕の音楽のリスナーなんていやしないんだけど、実は結構な数のデンマーク人が住んでいてね。そこでビジネス関係の大きな催しがあり、その場にエンターテインメントも必要だということで、クラシックのヴァイオリン奏者とかと一緒に招かれたんだ。そこで僕は45分ほど演奏した。会場内にロックンロールな雰囲気は皆無だったけどね(笑)。オーディエンスの半分はデンマーク人、もう半分は中国の人たち、という感じだったかな。そして中国の人たちは僕のことをまるで知らないし、僕の存在自体を気にかけてもいないようだった(笑)。まあ無理もない。ただ、演奏中に客席のお喋りが止まらなかったのにはちょっとウンザリさせられたけど。とはいえ、中国に行けたこと、ちょっと観てまわることができたのは良かったと思う。

 で、中国行きの話が出た時に、マネージャーに言われたんだ。〈デンマークから10時間かけて中国に行くことになるけども、それはつまり、日本がすぐ近くにあるってことだが……〉とね(笑)。そこでクラブチッタの担当者と話をして、その旅程に一夜限定の公演を足すことになったというわけなんだ。

――つまり僕らは中国、もしくは中国とデンマークがビジネス面で良い関係にあることに対して感謝すべきなのかも(笑)。

T:かもね。そんな経緯で決まったことだったから、あんなふうに満員になるなんて思ってもみなかったよ。だから〈もう1本くらいやってもいいんじゃないの?〉みたいな話も出なかったわけじゃない。だけど、それは次回だな。次の機会には、できるだけ多くの街に足を運びたいと思っている。東京だけじゃなく、大阪、名古屋、札幌とかにもね。

――ソロ公演、しかもアコースティックということになれば荷物も少なくて済むし、身軽に日本国内を回れると思いますよ。

T:確かに。身軽だし、ある意味リーズナブルな旅ができる(笑)。正直なところ、デンマークからバンドとして日本に来るとなると、費用もそれなりにかさむことになる。いろいろと持って来なければならないものもあるし、周辺の他の国々を回るというわけでもないということになるとね。だけど日本に来るのはいつでも楽しいことだし、そういった事情は気にするまでもないものだ。僕らはデンマークで活動しながら音楽で生計を立てていられるというだけでもハッピーだし、とても恵まれていると思っている。そのうえこうして日本に来られたりするのは、僕らに報酬以上のもの、ボーナスみたいなものだからね。

――パイロやスクリーンなどの演出もたっぷり盛り込んだDIZZY MIZZ LIZZYの大きなショウを何本か日本でやり、その合間にクラブ規模のアコースティック・ショウをやるというのはどうです?

T:いいね! それはやってみたいな。だけど僕らのなかで、バンドとしての夢のリストのいちばん上に書いてあるのは、武道館公演なんだ。いつか実現させたい。簡単なことじゃないのはわかっているけど、本当にやれたなら素晴らしいことだと思う。

――絶対にその夢を叶えて欲しいところです。来年は東京でオリンピックが開催される都合で会場を押さえるのが難しいみたいですけどね。今年がデビュー25周年ということは、2020年にはDIZZY MIZZ LIZZYの初来日公演から数えて25周年ということになりますし、いいタイミングではある。

T:確かに! ライヴ・アット・ブドーカン……ナイスな響きだな(笑)。

――実現を心から願っています。最後に日本のファンに向けてのメッセージをいただけますか?

T:もちろん。今回に限らず毎回のことではあるけど、日本に来てプレイするのはとても楽しいことだし、ファンのみんなのみならず、素晴らしい人ばかりだ。雰囲気も、食事もナイスだし、洗浄機付きトイレもいいよね(笑)。

実は僕の住んでいるアパートメントはとても古いんで改装をしたんだけど、日本製のトイレを導入しているんだ(笑)。デンマークであれを使っているのは、おそらく僕だけじゃないかな。笑える話として、公表しておくよ(笑)。

初来日時のインタビュー記事が掲載されたMUSIC LIFEの誌面を見せた時のティムの反応はこちら。来年にはデビュー・アルバム発売から30年を迎えることになる。

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